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脱学校の社会 (現代社会科学叢書) 単行本 – 1977/10/20

4.3 5つ星のうち4.3 52個の評価

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現行の学校制度は、学歴偏重社会を生み、いまや社会全体が学校化されるに至っている。公教育の荒廃を根本から見つめなおし、人間的なみずみずしい作用を社会に及ぼす真の自主的な教育の在り方を問い直した問題の書。

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 東京創元社 (1977/10/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1977/10/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 232ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4488006884
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4488006884
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 52個の評価

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イヴァン・イリッチ
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年4月23日に日本でレビュー済み
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I don't have any issues
2021年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代の学校、交通網、病院は、
「人を市場原理へ依存化させるため」の場であり輸送手段である。
本書では、学校教育に焦点を当て、
人の商品化を促進するシステムに対して警鐘を鳴らす。
(「商品としてパッケージ化した」学校、交通網、医療)

以下、システム化の流れである。
資本主義の中にあり、利益を追求する社会の構造上、
人の商品化を促進する学校制度は当然の帰結であるとも言える。
すべてはGDPを目的とした社会の中に内含され、人はその社会の資源となる。
GDP数値を上げるための、子供を狂信的に教育し、
高速道路などの輸送機関、医療から生まれる医原病も同様の処置をとる。
アンデス山脈では11歳でも土を耕し羊の番をするが、
市場原理では「年齢」という枠組みが存在する。

1 依存化への入会と儀式(儀礼的ゲームと新しい世界的宗教)
 ・学校の教育の段階で人に価格札を残す(〇卒、それ以外)
 ・経済成長志向の消費社会へ入会させる儀式をおこなう
 ・無限に進歩する、制度化された恣意的な価値に狂信させる
 ・潜在的カリキュラムを教える国家の為に生徒を強化する教師(国数社理英)
 ・利益市場の為の儀礼的教育(生産消費の正当化)
 ・自立を放棄させる学校制度のシステム(GDPのための時間厳守、出欠席)
 ・現代の子供時代は自由な学習ができないように子供を縛り付けている

2 「GDP数値を上げるための知識を学ぶ」ことへ依存化させる
 ・「快適さ、威厳、スピード」(利益至上主義社会、学校、職場という場において)
 ・「生産、消費、浪費のサイクル」の正当化
 ・すべての人が新しい生産消費に期待をするような幸福のない社会 
 ・漸進的に消費を増やすレースに導く儀式への依存化(学校、職場=儀礼的ゲーム)
  →脱落者を精神的に排除する
  →よりGDPを増やすためにカリキュラムを売る
  →カリキュラムにかける費用が多ければ多いほど学習できるというビジネス
  →「幸福への道は消費すること」「生産消費ができるもののみ価値がある」と信じ込ませること

3 1と2の為にほかのネットワークを破壊する(自立を放棄させるシステム学校制度)
 ・非生産者を閉じ込める制度(あらたな病名、予防的に収容)
 ・現実性、創造性を奪い疎外化することで、より制度に依存させる(GDP=善とする)
 ・社会に依存しない学習経路、学習を伝授し合う機会と場を奪う(共有地の非共有地化うや私有地化)
 
消費社会の奴隷となった人間と自然界、
科学者、エンジニアのおもちゃになった世界は、
徐々に自由な共有地を失い自らの首をしめ続ける世界となり、
「満足が欲求に追いつかない時代」へと加速化を促し続けていく。
-------------------------------------------------------------------
1章 なぜ学校を廃止しなければならないか
2章 学校の現象学
3章 進歩の儀礼化
4章 制度スペクトル
5章 不条理な一貫性
6章 学習のためのネットワーク
7章 エピメテウス的人間の再生
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 昔からよく言われていることだが、日本では好奇心から教育を受けたいと言うより、一流学校へ行くことが教育の目的になっている.
 わかっちゃいるけど変わらないのが人間だとつくづく思う.
 学校が楽しくないのは、自分の性ではなく、学校や教師の性だと言うことが理解できます.
 好奇心や創造性のある生徒よりも、単に記憶力のいい生徒が優遇される学校では、おもしろくないのは当たり前.

以下要約になります.
------------------
33 ほとんどの学習は偶然に起こるのであって,学校の外で身につけることが多い.しかし,反復学習は現在,評判が悪いが,九九など有用である.
35 専門職業人の養成には非常にお金がかかるという幻想を大衆に抱かせることによって,彼らの職業の利益を保護している.
38 学校は技能の習得と人間的な教育をひとまとめにしている.
49 すべての人に教育を与えると言うことは,すべての人が教育者になることである.教育制度に強制的に収容することではない.教師の権限は学校内での教育に制限されているので,余暇と仕事が互いに疎外されている.
50 ほとんどの教育は複雑で一生続くものである.計画的な一時的なものではない.現代社会は種々の構想によってできあがっているので,専門化された教育でも,無駄が多い.51 脱学校によって,学校で得られた免状によって自分をかばったり,制度を統制したり支配しようとは思わなくなる.
52 現代の学校教育は他人にとって何が必要であるか何が不必要か教育できると妄想している.
60 子供時代という概念は,最近のものである.20世紀になって,子供の服,子供ゲーム,子供を法律の適応外にするのが始まった.それまでは7歳になれば,大人として扱われた.62 年齢に制限のある義務教育が無くなれば,子供時代というものはなくなり,豊かな国の若者はそん破壊性から解放されるし,貧しい国では義務教育で豊かな国と対抗することも無くなる.
64 親たちは自分の子供を上の学校にやりたいと思っているが,子供らが手に入れる免状やそれによって得られるお金ほどには何を学習したか関心がない.更に良い学校へ行くことで街の悪い友から保護してくれると考えている.
65 十分に教育を受けていない人たちは,学校教育の期待をあおる政治家や,教育費の徴収や,自分たちの子供の教育を通して,劣等感を持つことになる.しかし,学校教育で子供たちに彼らの期待を託すことはむなしい望みである.生徒が学趣旨凧との大部分は,教師から得られたもので無く,聡明な子供も,そうじゃない子供も鞭と,望ましい経歴が得られるという飴によって,試験に合格するために,暗記,読書,機知に頼ってきた
68 現代の学校を基礎にして,リベラルな社会を築くことが出来るというのは逆説的で,教師が子供を取り扱うとき,個人の自由は無視されるからである.
70 学校へ行くことは,子供にとって,日常性かkつから隔離され,遙かに原始的,魔術的,重苦しく全く別な世界に入れられることである.
71 学校教育には儀式的儀礼的なカリキュラムがあるという事実を忘れている.このため社会にある差別が強化され,消費社会へとつながる.
73 大卒者は選ばれて裕福な人々の仲間入りをすることを目指して,学校教育を受けている.貧しい国の大卒者は,教育を受けていない同国人よりも,富んだ国の大卒者の方に親しみを覚える.それは特権階級としての親しみである.
74 大卒者は先進国より後進国では生活の模範となる.
75 大卒者に自動的に富を与えるシステムは近代になってからであり,それまでは貧者,乞食になることさえ意味した.尊敬も軽蔑も受けるアウトサイダーであった.
76 現代の大学は出会いの場を放棄し,研究と教授を産み出す過程を管理している.出会いとは上からの統制を阻み,活発で計画には縛られない特徴があった.
77 学生の間で,大学の威信は徐々に低下し,対抗文化(ヒッピーなど)を築くようになった.教育とは階級組織に取り込むことであるが(日本の部活における,先輩後輩の階級を思い出してほしい.幼少時にはそんな階級社会があっただろうか),その中で誠実な生活をしようとしたら,対抗文化となる.
78 大学は宗教のように,3種の機能がある.1)社会における神話の貯蔵庫 2)神話の矛盾の制度化 3)それを隠蔽するための儀式の場所
79 教育制度を変えないで大学のみを改革しても変革はない.
80 大抵の人は参加することによって学習するのだが,学校で念入りな計画の元で,教授されることで学習すると勘違いしている.学校の制度に馴らされると,他の制度も容易に受け入れる.
82 人間の成長は測定することは出来ないのに,学校ではカリキュラムの中で子供を測定するようになる.そのように既成の物差しで教育された人たちは,創造性を喪失しているため,作られたものにしか価値を見いだせない.→消費社会へつながる.
84 仕事はその仕事に利用できる資金や人材の拡大とともに増大する(パーキンソンの法則).教育にも当てはまる.教育支出が上昇すると,学習困難児が問題になる.
85 健全な子供たちは自分たちが操作されることに不快感を感じる.それも1人の教師が学習時期,内容を決定するから.
87 先進国では平均寿命ののびよりも義務教育期間が伸びている.(すでに,義務教育後の平均余命は昔より短くなっている)
88 現代は「終わりのない消費」が霊魂不滅の宗教に取って代わっている.学校で教えられることよりも学校というゲームに引き入れることが重要になっている.
89 ゲームの出来ないものやゲームに参加しないものは悪者になる.学校は人類が繁栄している限り,進歩する工学を受け入れるものには科学的無限の報酬を与える.
90 裕福な子にでは生産コストが少ないので,人々の消費行動をコントロールすることに大きな資本を費やす.
93 学校は教育から現実性を奪い,仕事からは独創性を奪う.人生で出会う驚くべきことに感動しなくなる.
107 刑務所は忠の不同調者を犯罪人にしてしまう.それは精神病院,療養院,孤児院も同じことをしている.それらは自分自身に精神病者であるとか,歳をとりすぎているとか,放浪者であるという破壊的イメージを持たせることになる.
108 社会のスペクトルの両端はどちらもサービスを提供するが,右は操作的であり,広告,攻撃,強化,投獄,電気ショックの犠牲になる.左端は,公共サービス,水道,電気,道路などで顧客は自由な行為が出来る(売り込みの必要のないもの).右側はコストがかかり,中毒し,習慣化していく.
109 左側にある電話は,用が済めば切るし,使えなければ他の連絡方法を考えるが,右にある学校は強制的であり,他の方法を許さない.
110 自営業は左,大企業になるにつれて,右側になる.イメージを売り込み,大企業じゃないと安心できないように顧客に思わせる.
111 輸送に関して,公共交通機関があるにもかかわらず,自動車会社は車で遠くに行くことに幻想を抱かせ,スピードやパワーに贅沢観を持たせて購買意欲をかき立てる.
112 道路でありながら,車しか使えない高速自動車道路は車産業のアクセサリーである.116 学校のように他人によって成長させてもらおうとすることは,商品を求めることよりもずっと,自発的な活動を放棄させる.自分で成長する責任を放棄することは,精神的自殺と同じである.
119 官僚制度はものを作ること,儀礼のルールを作ることである.官僚制度は科学技術を使うことによってスペクトルの右側で,権力を手に入れ,その権力を増大させる.反対に左側は衰退していく.つまり,個人の想像力や,人間的創造性は科学技術では強くならないと言うことである.人間は物質を豊富に持つか,それらを使う自由が豊かになるかのどちらかである.
120 近代化は人がものを作ることに時間を取られることが少なくなり,失業はその結果である.
121 科学技術のおかげで,人間は哀しい失業と,楽しい余暇を選べるようになった.
更に,徳のある行為までサービスと称する産業に明け渡している.具体的には,学校教育だけが教育と考え,医療サービスを受けることが健康であると考え,予定表を忠実に耳垢することをもてなしと考え,スピードのあることを効果的な移動と考える.
122 それらと反対の社会は,耐久性のある限られた種類の製品を作り,人々の相互作用の機会を増やすことである(一方的にサービスを受けるのではなく,サービスを受け続けるには富が必要となり,格差が生まれる)
商品は耐久性があり,修理可能なものが望ましい.
127 20世紀初めには,学校とは社会統制の主役であり,自由な強力の主役でもあった.しかし,都市化によって,産業が発達すると,子どもをその社会に合わせて加工する工場になった.
126 学校は生産者の消費者の専門家になることを目指し,経済成長を第一とするイデオロギーに浸かっている.
130 学生はまじめにカリキュラムに取り組むと,最終的に自分たちの人生が値踏みされていることを知り,気が狂いそうになる.
131 アメリカでは生涯教育と称して,教室の壁を外へ広げようとしている.
12歳から17歳までの若者が,制度化され計画化された教育にますます強い抵抗を示すようになって生きていることを考えると,脱学校化を考慮する必要がある.
132 教育がどんな方法であろうと,制度化するようでは脱学校化とは言えない.平等に教育を分配することばかりにこだわれば,教育は制度化する.
133 われわれは科学技術による管理(テクノクラシー)が,技術の進歩であると誤解している.そのような世界では管理者が許可する範囲でしか,受益者は活動できない.つまり,提供されたものしか,選択できないのである.
富を作り出す能力の法が,意味のある富より重要視されている.
134 現在の教育制度は教師の目標に奉仕するものになっているが,学習することと,他人の学習に貢献することが出来るような関係性(縁起)を築き上げることがよい.
136 今の学校では学ぶために学生を懐柔したり,強制する教師を雇ったりしている.学生の自主性を考えなければならない.教育内容を教師を使って,学生に注入するのではなく,実際の世界と学生を結びつけることが必要である.
137 学校に通うことと,学習は区別すべき.
学校は政治的,経済的構造に属している.つまり,政治が変われば,学校も変わってしまうと考えがちである.
138 しかし,基本的な学校の制度はどこの国でも一緒であり,奉仕活動より,専門の制度で産み出されるものの方が価値があると考える消費者を作り出す.科学的知識で官僚が作り出した制度が効果的で,温情的であると信じ込まされる.学校のカリキュラムに従って,生産を増やしていけば,よりよい生活が得られると生徒たちは信じ込まされる.更に自主的な能力を台無しにしながら,他人からのサービスを受けるのが主観になっていく.これは人間疎外につながる.
139 社会制度が学校を変えるのではなくて学校が社会制度を強固なものにしている.
140 優れた教育制度は,年齢に関係なく,学習したいときに教材や手段を得られる.
お互いに知識の交換が出来ること.
141 人生には秘訣があり,その秘訣を知っているかどうかで人生の室が決まり,その秘訣は学校と教師からしか学べないというのが学校が存続する理由である.
142 自由な教育に必要なものは実践と模範となる人(仲間,年長者)である.
144 テレビは政治家とか教育者とかの官僚主義者たちが,国民のためになるとか,要望があるからと言う理由,又はスポンサーの意向で作られた番組をばらまいている.
学校では何を学ぶかと言うことではなくて,学習者は何を学びたいかということから始めるべき.
学習は同じ興味を持つ仲間同士か,経験の豊富な先輩からなされる.従来の方法は教師を育てるのに多くなコストを要し,コストをかけたほどでもない学習結果である.
147 裕福な子どもも貧しい子どもも彼らを取り巻く大部分の事物から意図的に引き離されている.触れるものがほとんどプラスチックになり,工業デザインが事物の本質を見えなくしている.更に制度も本質に触れることを拒否している(名目上は危険が理由であるが).
148 近代国家の商品はどれもごてごてと飾り立てたものばかりである.工業が発達すると,人々を誘惑するが意見が本質を隠している.専門家でない限り,その中身がどうなっているのか,もはや知ることが出来ない.専門家がその知識をわかりにくくし,値踏みできないようにしている.そして,人々は発明しようとする意欲が失われる.
149 事物を教育のカリキュラムの一部として使うと学生は堕落する(苦労することなく事物は目の前に現れ,あらかじめわかっていることを見せて去って行く).
学校対抗の運動競技は戦争に似た形式で行われ,スポーツの楽しさを損なっている.
教育ゲームは,子どもたちに嫌悪感を抱かせることなく,学習できる.ただし,ゲームを子どもの能力判定に使ってはいけない.
154 先進国ではほとんどの事物や場所から,専門家でないと危険だからと言う理由で排除されている.
156 たとえ子どもであっても,人間性を尊重する職場ならば,2時間くらいの就業があっても良い.
157 警察署,消防署,娯楽産業(芸能界)では徒弟制度で,危険な面がある.
159 科学は現代になって,官僚主義や組織化によって一般の人の手の届かないところへ行ってしまった.科学者は国家と会社の中に閉じこめられ,精神的能力は官僚たち(会社の経営陣)によって貧しくされてしまっている.そのせいで,教育で使うことの出来る科学技術はとても限られる.
163 教師の中で,学生に意欲を起こさせて,実際に教えることの出来る人は非常にまれである.
164 私利私欲にとらわれる人が多くなってきたので,人に技能を教える人が少なくなった(有料の教育は除く).市場が売り手優位になるように技術は買い手にはわからないように隠されている.
165 現在学問の自由と言う特権は教師にだけ与えられている.言論の自由とともに,人に技能を教える自由も与えるべきである.
167 現在の技術水準をテストすることは,20年前のその人の技術の証明書よりも有用である.
168 最悪の学校は(個人差を無視して)学生全員に同じことを,同じ早さで教えることである.最良の学校は学生にコースを選ばせることである.ドジに同じ目的を目指す仲間を見つけることがよい.
169 教師から技能を教えることは何度もそれを繰り返さなくてはならないため,退屈なものとなる.
170 新しい技能を身につけたら,それを楽しむのがよい.英語を身につけたら,英語のコミックスを読むなど.
172 マスコミが個人の働きかけに対して反応するのは,その個人のニュースが売れるときだけである.
179 現在教師が多くの時間を使っている恩は,子どもの世話,学習計画,記録を付けることである.
180 教職に惹きつけられる人の多くは権威主義である.
182 ある人が知的な指導性を発揮できるかどうかは,その人の優れた知性と想像力,仕事をする際に他の人々と協力しようとする意欲を持つかどうかで決まる.
183 詐欺師や堕落した教師を持たないために,現在では教員免許証が発行されるが,それで真の教師を見分けるには難しい.現在では人間的な師弟関係は消滅している.
人間的な師弟関係とは,道徳的な友情であり,贅沢の一つであり,余暇であり,意味のある活動である.
184 ものを作ったり,人を操作する活動よりも,人間的な活動が重要である.そのような社会では,探究的で発明的で創造的な教育がなされ,余暇(ギリシャ語でスクール)といえる状態が望ましい.
【185】 教師,医者,僧侶,法律家の等の専門家は本来自由であるが,専門職にすることで,高いコストで低い援助を得ることになり,専門職の中でも能力の低いものがより多くの所得を得るようになっている.(良い専門職を探すには儲かっていない人を選べと言うこと.)
教師の中でも進取の気性に富むものは,学校でなく他の教育に関わる職を選ぶ(塾の講師など).
188 学校が必要とする顧客(学生)は自主性も自分で成長しようとする意志も持ち合わせていない.
190 希望とは自然の善を信頼することであり(予想できないこと),期待とは人間によって統制された結果に頼ること(予想できること).
194 現代の人々は彼らのイメージに合わせて世界を作り,全面的に人工で作られた環境を築く.その後,自分自身を環境に合わせようとする.
先進国の都市では,子どもが触れるものはすべて科学的に開発され,作られ,計画され,誰かが打っているものである.樹木でさえも役所がそこに植えたからそこにあるのだ.子どもがテレビで聞く気の利いた冗談もすべて,費用をかけて作られたものである.
195 欲望や恐怖までもが,制度(学校)によって作られている.権力と暴力が組織され運営されている(警察対ギャング).学習自体が,教科内容を消化するように作られ,その教科内容も,研究,計画,奨励されたものばかりである.そこから離れて想像することは,汚いもの,へま,失敗でしかない.望ましいものはすべて計画されたものであるから,更に人は制度を作ろうとする.北陸新幹線が出来れば,東京へ行く人が増えるだろうと考えることと同じ.
198 人々がまだ必要としないうちから必要を作り,それらを作り出す課程で,地球を消耗させる.近代化された農業は土壌を汚染し,疲弊させる(殺虫剤,肥料,エネルギーを大量に使うこと.それらは海と大気を汚染する).
222 現代社会は商品の需要を生み出すことに,資本と労働力が向けられている.そんお需要を生産するために学校が使われている.学校制度によって新しい疎外が生まれる.
223 人間が機械に合わせるように,いまや人間が学校制度に合わせるようになっている.これは一定の限度を超えて学校制度が発達したからである.
226 夫家長制社会は人間のつくったもの(法律や制度など)を重視し,理想的思考を求め,自然現象を変化させようとする人間の努力を高く評価する.これを進歩の本質とみなす.
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レポート
2024年3月7日に日本でレビュー済み
原書(ペリカン版)と翻訳を久々に読んだ。ひと頃流行った脱学校論の嚆矢であり、業界内外で古典的業績と認められている。学生時代に初めて翻訳を読んだときは、発想の革新性と非現実性にやられてモヤモヤした覚えがある。その後、長きにわたる教職生活によって「学校化」された身には大した批評もできないけれど、再読して若いころとは違う感想を持った。それは・・・出版50数年後、現実からの批判には敢えて禁欲的になるとしても、「学校化」の最高峰である Ph. D.保持者の著者が(その恩恵を棚に上げて)学校制度の全否定に至る結論には、どうしても(啓蒙主義的な)上からの目線と(哀れな子羊に対する)元助任司祭風の姿勢を感じてしまう。これが、エリック・ホッファーのように港湾労働者の傍ら公立図書館で独学し思想を鍛え上げた人間の発する言葉であるなら、(たとえ非現実的な提案だとしても)根本的な近代社会批判として素直に受け止められるのだが。
 もっとも翻訳自体はこなれており、とても読みやすかった。ただし、一箇所だけ訂正をお願いしたい。「勇敢な新世界」(p. 186)は「素晴らしき新世界」( brave new world, ペリカン版 p. 104) の誤訳である。お気づきの方も多いと思う。そして註の追加として、この言葉は Aldous Huxley, Brave New World (1932) の捩りであり、さらにシェークスピア『あらし ( Tempest) 』の一節に由来すると。

MIRANDA: How beauteous mankind is ! O brave new world
That has such people in't ! ( 5.Ⅰ, 185-186)

その昔、学部の英文学演習で brave の古い意味を教わったが、英国人に聞くと「クイズレベルの話」だとか。高名な翻訳者が知らなかった(しかも未だに訂正されていない)とは驚きました。それとイリイチが「文革」の(心情的)支持者だったとは・・・ちょっと?
2017年12月8日に日本でレビュー済み
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人生100年時代到来、教育は学校だけがまかなうものではない。
学校を離れた教育のあり方、かつての社会教育、生涯教育につながるものを感じる。
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2012年5月8日に日本でレビュー済み
1990年頃だったと思います。インターネットという言葉はまだ無く、パソコン通信という市場に日本で、300万人程が参加している時代があった。
その時に、この本をたまたま目にした。
確か、IT技術が社会に与える影響を研究する学者の文庫本に紹介されていた。

その本には、1970年のハッカーの精神的支柱が、イリイチだ。と書かれていた。

実際に、この本「脱学校の社会」を手にとって読んでみて、心が震えるのがわかった。

もし、あなたが、iPhoneやiPodの虜で、Jobsを崇めているとしたら、
Jobsが何に心震えたかを思い出して欲しい。

そして、その技術を実現した技術者達は、誰の思想に心震えて 動機付けされたのかを。

私もその一人でした。

彼の提唱した、機会の網 oppotunity web
このWが、実は、wwwの1つだ。
既に空気のようになったインターネットに暮らす現代の人々は、以下の文章が、1970年に書かれたことがどのくらいすごいことだったかを理解できないだろう。

ーーーーー
IVAN ILLICH:脱学校の社会(DESCHOOLING SOCIETY)東京創元社[77.10.20/1970],p-140
すぐれた教育制度は3つの目的を持つべきである。
第一は、
誰でも学習をしようと思えば、それが若いときであろうと年老いたとき
であろうと、人生のいついかなるときにおいてもそのために必要な手段
や教材を利用できるようにしてやること、

第二は、
自分の知っていることを他の人と分かちあいたいと思うどんな人に対し
ても、その知識を彼から学びたいと思う他の人々を見つけ出せるように
してやること、

第三は、
公衆に問題提起しようと思うすべての人々に対して、そのための機会を
与えてやることである。
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