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文庫 裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記 (草思社文庫 は 2-1) 文庫 – 2012/6/2

4.6 5つ星のうち4.6 6個の評価

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若き皇太子は第一次大戦の戦禍癒えぬ欧州で何を見たのか。東宮武官長奈良武次の初公開資料をもとに全行程をたどり、外遊が昭和天皇に与えた影響を考察した意欲作。
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商品の説明

著者について

1953年生まれ。日本近現代史研究家。慶應義塾大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。著書に『裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記』(草思社)『浜口雄幸』(中公新書)『満蒙独立運動』(PHP新書)。共著に『関東大震災と日米外交』(草思社)。編著書に『浜口雄幸日記・随感録』(みすず書房)『内田良平関係文集・第2集全12巻』『海軍の外交官 竹下勇日記』(以上芙蓉書房)など。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 草思社; 単行本版 (2012/6/2)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2012/6/2
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 345ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4794219067
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4794219060
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.8 x 1.8 x 15.2 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 6個の評価

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波多野 勝
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2019年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和天皇の皇太子時代の姿が見事に描かれており興味深い。それまで皇室内の世界しか知らず無口で対人関係が非常に苦手だったのがヨーロッパ外遊を通して大きく人間形成がなされたという点は特筆される。また第一次世界大戦後のヨーロッパの各戦地の悲惨な状況を視察することによりどれだけ戦争が恐ろしい結果をもたらすものかということを実感したに違いない。それがまさか24年後の日本の姿になろうとは予想だにしていなかったことだろう。それは歴史の皮肉といってよい。終戦の聖断時にはあの頃のことが脳裏に甦っていたものと思う。驚いたのは当時は天皇即位前とはいえ元老なり側近なり首相なり周囲の者たちの皇太子に対する発言力がこれ程までに大きかったのかということ。今の時代では到底想像もつかない世界。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年9月4日に日本でレビュー済み
1921年春といえば、帝国臣民に向けても諸外国に向けても、まだ菊のカーテンの厚く下された時代である。そこでの皇太子訪欧は、確かにセンセーショナルであり、明治憲法下において確かに「立憲君主制」の芽を育み始めた出来事であった。
本書は、第一次世界大戦直後の傷跡深い西欧という「世にも稀な時空」が若き昭和天皇の思想と行動に与えたものを考察し、また西欧、北米の動きと併せ、昭和初期の日本外交の軌跡とその限界を探る。

・日本から地球を半周して英国本土のポーツマスに至るまで、香港、シンガポール、コロンボ、スエズ、ポートサイード、マルタ、ジブラルタルで地元民と英駐留海軍の熱烈なる歓迎を受ける。これら寄港「地点」すべてが大英帝国植民地であり、その覇権を実現・維持するための戦略要港であることが理解できる。

・横浜を出港後、スピーチ、テーブルマナー、態度振る舞いのすべてにおいて貴顕紳士の基準に達していなかった裕仁皇太子が、イギリス滞在わずか数日にして大国の皇族にふさわしい規範を示すほどに変貌し、供奉員のみならず各国王族・外交官を唸らせたエピソードは感動的ですらある。

・イギリスでは王室関係者のみならず、首相ロイド・ジョージ、スコットランドの大貴族アソール公、公の使用人などと会うこととなる。「菊のカーテン」に閉ざされた篭の中とはまったく別の世界。王政とデモクラシーの調和。「君臨すれども統治せずと云う程度を可とす」(p204)への思いの萌芽……。そして同盟廃棄前夜のイギリスに極東洋の国の皇太子が足を運ぶ、このことが彼の国民に心地好い心象を刻み付けた効果は計り知れないものがあった。

・フランス、ベルギーではソンムなど西部戦線の激戦地に足を運び、演習などとまるで異なる、血肉と骨の砕け散った生々しい無残な世界を目の当たりにする。この貴重な体験! 戦争の悲惨さを身をもって知った裕仁皇太子・天皇は、その後、陸海軍の強硬思想に接した弟宮との接遇に苦心することになる……。対米戦争の決断は身を斬る想いだったことが容易に想像できる。

・日章旗の掲げられたエッフェル塔(p149)、見てみたいな。パリ地下鉄の無賃乗車(p166)やオデオン劇場(p153)のエピソードも面白い。

・右翼は民衆を動員し訪欧への大規模な反対運動を展開した。田中儀一から上原勇作への手紙にある「将来何事にも民衆運動を利用すること可相成、皇室国家に害毒を流す発端を作りたるもの……」(p53)は現代的視点からも重要だ。EU離脱を決めた英国の例のように、軽々しく国民投票などを国政に利用されるようなことがあってはならない。

・本書後半は帰国後の日本と皇室の推移にページが割かれている。「国民に開かれつつある皇室」から「現人神」への急展開の件は悲しくもある。

・1930年のロンドン軍縮会議に際して、昭和天皇自ら軍備縮減を容認する言葉「世界平和のため早く纏める様努力せよ」(p256)は印象的である。

20世紀初頭の日英同盟、太平洋戦争後の「新しい」日米関係。それらの政治的効果は計り知れないし、多国間協調ではなく、日本政治においての二国間大国同盟の重要さが時代を超えて通底しているといえる。
歴史にifはないといわれるが、大正10年代、あるいは昭和初期に裕仁皇太子/昭和天皇の訪米が実現していたら、世界史はまるで別のものになっていただろうに(p66,80)。とても残念でならない。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
It is a bit off focus but still useful on the whole
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年10月6日に日本でレビュー済み
 公刊されていない奈良武次日記や外交史料館などの資料をもとに、
昭和天皇が皇太子だった大正10年のヨーロッパ訪問のようすを生き生きと描く。
戦後の訪欧や訪米にも触れている。

 なお、昭和5年のロンドン軍縮会議で、
補助艦の日英米比率、3対5対5という記載は誤りである。
3対5対5というのは大正11年のワシントン条約で
決まった主力艦の日英米比率である。
ロンドン海軍条約の補助艦対米比率は69.75%である。
2020年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大正10年に半年掛けて欧州各国を回った皇太子時代の昭和天皇は、何を見て、何を学んだのか。
大まかには知っていたが、終結からまだ数年後で戦禍が生々しい第一次世界対戦の戦跡をこれほどあちこちで見学されたとは…
この遊学で昭和天皇は、英国貴族や英国首相に生涯の標となる「立憲君主とは何か」を教わっただけではなく、バチカンとのコネクションも作っていた。
無私を体現し数々の名言を残した昭和で一番の賢人(調べるほどに私は確信しました)であった陛下の人格は、いかに培われたのか。これが昭和史のキーのひとつであるのは間違いない。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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