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創業一四〇〇年――世界最古の会社に受け継がれる一六の教え 単行本(ソフトカバー) – 2013/11/1
金剛 利隆
(著)
★578年、飛鳥時代に創業
★聖徳太子の命で始まった世界で一番古い会社「金剛組」
★1400年以上の長きにわたり、なぜ生き残ることができたのか?
■578年、聖徳太子の命を受けて始まった世界最古の会社
578年、飛鳥時代。四天王寺を建立するために、聖徳太子の命を受けて、「早水」「永路」「金剛」という3人の工匠が百済から呼び寄せられた。その一人、金剛重光こそ、現存する世界最古の会社と称される金剛組の始祖である。以来、金剛家は、四天王寺をお護りする役目を担う「四天王寺正大工職」に任命され、年中行事にも参加を認められるなど、四天王寺とともに歴史を歩んできた。(第2章参照)
■「なにわの女棟梁」金剛よしゑが金剛組の経営を立て直す
1400年という金剛組の長い歴史のなかで、たった一人、女性の正大工職がいる。それが、金剛利隆氏の義母、第38世四天王寺正大工職の金剛よしゑだ。金剛よしゑの夫であり第37世の金剛治一は、非常に優秀な職人だった。しかし、職人気質が災いして会社の経営を傾けてしまったことに責任を感じて、先祖の墓の前で自ら命を絶つことになる。夫の自殺によるショックに打ち拉がれている暇もなく、幼い娘と社員を抱えたよしゑは一念発起。史上初、女性の四天王寺正大工職に任命されると、のちに残した実績から「なにわの女棟梁」と称されるまでになる。(第4章参照)
■「金剛組を潰したら、大阪の恥や! 」義理と人情が救った老舗の看板
2005年、「世界最古の会社が倒産」というニュースが世間を賑わすことになる。このニュース自体は誤報だが、不得手な事業に手を伸ばした結果、経営苦に陥ったことは事実だった。そのとき、再建の目処も立っていなかった金剛組に手を差し伸べたのは、同じ大阪の上場企業・髙松建設だった。「金剛組を潰したら、大阪の恥や! 」。なぜ、金剛組は支援を受けることができたのか。その背景には、髙松建設をはじめとする、なにわの義理と人情があった。(第5章参照)
■第32世の遺言書に記された16の教えはいまも受け継がれる
金剛組には、長く受け継がれる遺言書がある。病に苦しみ、後継者問題にも悩んでいた第32世金剛喜定が残した遺言書には16の教えが記されていた。そこに書かれている内容は、一見すると「当たり前」のことかもしれない。しかし、当たり前のことほど、続けることは難しい。創業の原点を守り通すこと。それこそが、会社が存続するための近道だと気づくことになる。(第3章、第6章)
★聖徳太子の命で始まった世界で一番古い会社「金剛組」
★1400年以上の長きにわたり、なぜ生き残ることができたのか?
■578年、聖徳太子の命を受けて始まった世界最古の会社
578年、飛鳥時代。四天王寺を建立するために、聖徳太子の命を受けて、「早水」「永路」「金剛」という3人の工匠が百済から呼び寄せられた。その一人、金剛重光こそ、現存する世界最古の会社と称される金剛組の始祖である。以来、金剛家は、四天王寺をお護りする役目を担う「四天王寺正大工職」に任命され、年中行事にも参加を認められるなど、四天王寺とともに歴史を歩んできた。(第2章参照)
■「なにわの女棟梁」金剛よしゑが金剛組の経営を立て直す
1400年という金剛組の長い歴史のなかで、たった一人、女性の正大工職がいる。それが、金剛利隆氏の義母、第38世四天王寺正大工職の金剛よしゑだ。金剛よしゑの夫であり第37世の金剛治一は、非常に優秀な職人だった。しかし、職人気質が災いして会社の経営を傾けてしまったことに責任を感じて、先祖の墓の前で自ら命を絶つことになる。夫の自殺によるショックに打ち拉がれている暇もなく、幼い娘と社員を抱えたよしゑは一念発起。史上初、女性の四天王寺正大工職に任命されると、のちに残した実績から「なにわの女棟梁」と称されるまでになる。(第4章参照)
■「金剛組を潰したら、大阪の恥や! 」義理と人情が救った老舗の看板
2005年、「世界最古の会社が倒産」というニュースが世間を賑わすことになる。このニュース自体は誤報だが、不得手な事業に手を伸ばした結果、経営苦に陥ったことは事実だった。そのとき、再建の目処も立っていなかった金剛組に手を差し伸べたのは、同じ大阪の上場企業・髙松建設だった。「金剛組を潰したら、大阪の恥や! 」。なぜ、金剛組は支援を受けることができたのか。その背景には、髙松建設をはじめとする、なにわの義理と人情があった。(第5章参照)
■第32世の遺言書に記された16の教えはいまも受け継がれる
金剛組には、長く受け継がれる遺言書がある。病に苦しみ、後継者問題にも悩んでいた第32世金剛喜定が残した遺言書には16の教えが記されていた。そこに書かれている内容は、一見すると「当たり前」のことかもしれない。しかし、当たり前のことほど、続けることは難しい。創業の原点を守り通すこと。それこそが、会社が存続するための近道だと気づくことになる。(第3章、第6章)
- 本の長さ188ページ
- 言語日本語
- 出版社ダイヤモンド社
- 発売日2013/11/1
- 寸法13.1 x 1.7 x 19 cm
- ISBN-104478017913
- ISBN-13978-4478017913
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商品の説明
著者について
金剛利隆(こんごう・としたか)
株式会社金剛組 相談役。第39世四天王寺正大工職。
1924年、福井県の森厳寺で6人兄弟の次男として生まれる。1944年に福井高等工業学校(福井工業専門学校に改称、現・福井大学)建築科を卒業したのち、京都伏見・工兵隊に入隊。陸軍経理学校に入学し、中部軍管区司令部経理部へと配属され、曹長・見習士官を務める。第2次世界大戦終戦後、熊谷組入社。その後、熊谷組を退社し、1947年に金剛光子と結婚、金剛家の婿養子となる。
1955年、金剛組の株式会社化と同時に、専務取締役に就任。1968年、株式会社金剛組の代表取締役社長就任に伴い、第39世四天王寺正大工職を継承する。2002年、会長就任。髙松建設による財政支援を受け、2006年に新生金剛組への営業権譲渡が果たされると相談役となり、現在に至る。
1978年、文化財建造物修理工事の功績により文化庁長官表彰を受賞。
株式会社金剛組 相談役。第39世四天王寺正大工職。
1924年、福井県の森厳寺で6人兄弟の次男として生まれる。1944年に福井高等工業学校(福井工業専門学校に改称、現・福井大学)建築科を卒業したのち、京都伏見・工兵隊に入隊。陸軍経理学校に入学し、中部軍管区司令部経理部へと配属され、曹長・見習士官を務める。第2次世界大戦終戦後、熊谷組入社。その後、熊谷組を退社し、1947年に金剛光子と結婚、金剛家の婿養子となる。
1955年、金剛組の株式会社化と同時に、専務取締役に就任。1968年、株式会社金剛組の代表取締役社長就任に伴い、第39世四天王寺正大工職を継承する。2002年、会長就任。髙松建設による財政支援を受け、2006年に新生金剛組への営業権譲渡が果たされると相談役となり、現在に至る。
1978年、文化財建造物修理工事の功績により文化庁長官表彰を受賞。
登録情報
- 出版社 : ダイヤモンド社 (2013/11/1)
- 発売日 : 2013/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 188ページ
- ISBN-10 : 4478017913
- ISBN-13 : 978-4478017913
- 寸法 : 13.1 x 1.7 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 372,273位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,247位企業経営
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本から、1000年企業が大事にしていることがわかりました。
2014年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
写真とコメントが妙にあっていて、非常にしみいりました。今まで接してきたなかで、一番、読み込めました。
2014年3月26日に日本でレビュー済み
本書は、金剛組第39世四天王寺正大工である金剛利隆氏が著した本である。
1400年以上続いた世界最古の会社についてのおおまかな歴史とその伝統を引き継いだ当主の責任の重さについて多くのページを割き述べていた。
評者が4年ほど前に読んだ『千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン』(野村進著)という本のなかにもこの金剛組について触れていたから記憶にあり本書を読むことにした。
2005年に、この1400年以上もの歴史のある会社が倒産の危機に瀕したことも本書で詳しく知ることが出来た。
一言でそのような危機に見舞われた原因を、評者が感じたままで言わせてもらえば、著者の金剛利隆氏が本書でも触れていたように「原点を見失った」に尽きると思う。
バブル期において他社に負けたくないという競争心理から業績を上げる事のみに奔走し、金剛組という独自性と伝統の技術を守るという「原点を見失った」ことから経営が危うくなったのだろう。
著者は、この危機から金剛組を救い出してくれた多くの関係企業や宮大工を始め多くの職人たちに衷心より謝しながら、支援してくれたことにたいしての感謝の言葉を切々と述べていた。
「金剛組を潰したら、大阪の恥や!」と同業である建設会社の高松建設「高松孝育会長」の一声で始まった金剛組再建の経緯には胸を打たれながら読んでしまった。
銀行や金剛組を取り巻く職人や下請け会社などが「金剛組を潰したら、大阪の恥や!」という気持ちで理屈を超えたところで支えたのは、金剛組という1400年以上綿々と受け継いできた職人の知恵と技術を失いたくない、との思いからだろうと評者は愚考したのである。
本書が「金剛組再興物語」になったきらいがあり、評者の期待したような書ではなかったが、興味深く読ませてくれた一冊でした。
1400年以上続いた世界最古の会社についてのおおまかな歴史とその伝統を引き継いだ当主の責任の重さについて多くのページを割き述べていた。
評者が4年ほど前に読んだ『千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン』(野村進著)という本のなかにもこの金剛組について触れていたから記憶にあり本書を読むことにした。
2005年に、この1400年以上もの歴史のある会社が倒産の危機に瀕したことも本書で詳しく知ることが出来た。
一言でそのような危機に見舞われた原因を、評者が感じたままで言わせてもらえば、著者の金剛利隆氏が本書でも触れていたように「原点を見失った」に尽きると思う。
バブル期において他社に負けたくないという競争心理から業績を上げる事のみに奔走し、金剛組という独自性と伝統の技術を守るという「原点を見失った」ことから経営が危うくなったのだろう。
著者は、この危機から金剛組を救い出してくれた多くの関係企業や宮大工を始め多くの職人たちに衷心より謝しながら、支援してくれたことにたいしての感謝の言葉を切々と述べていた。
「金剛組を潰したら、大阪の恥や!」と同業である建設会社の高松建設「高松孝育会長」の一声で始まった金剛組再建の経緯には胸を打たれながら読んでしまった。
銀行や金剛組を取り巻く職人や下請け会社などが「金剛組を潰したら、大阪の恥や!」という気持ちで理屈を超えたところで支えたのは、金剛組という1400年以上綿々と受け継いできた職人の知恵と技術を失いたくない、との思いからだろうと評者は愚考したのである。
本書が「金剛組再興物語」になったきらいがあり、評者の期待したような書ではなかったが、興味深く読ませてくれた一冊でした。