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選書943 日本の女性議員 (朝日選書) 単行本 – 2016/4/8
三浦まり 編
(著)
さまざまな分野で女性の活躍が目立つが、なぜか政治家は少ない。理由は何で、 女性議員が増えると政治はどう変わるのか? 国会議員へのアンケートやインタビューを基に、女性議員の変遷やそれに伴う女性政策の進展、世界の女性運動との連動など多角的に検証する。
- 本の長さ392ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2016/4/8
- 寸法18.8 x 12.5 x 1.8 cm
- ISBN-104022630434
- ISBN-13978-4022630438
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2016/4/8)
- 発売日 : 2016/4/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 392ページ
- ISBN-10 : 4022630434
- ISBN-13 : 978-4022630438
- 寸法 : 18.8 x 12.5 x 1.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 468,788位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
町村議会には女性が少ない。定数が15人でも女性は一人から三人ぐらいである。最近つくづく感じることは、少ない女性議員が残りの男性議員を相手に改革を訴えても、理解されず、形になることも少ない。結局「女性議員がいても、特に変わらない」ということになりがちである。この本は、「なぜ女性議員が必要か」「議会に女性が半数いることで何が変わるか」などが詳細な調査資料を使って明らかにしてくれている。議会に入っていい仕事をしようという女性や現役の女性議員の背中を押してくれる本だと思う。
2016年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著書では、学者らしからぬ学術的でない主観的な女性観を論拠にしており、主張を弱めている。
2021年11月16日に日本でレビュー済み
主に女性議員比率の向上でもジェンダー平等政策の点でも躍進が見られた1990年代と、女性議員比率こそ向上したものの政策推進の点では停滞が見られた2000年代~2010年代前半の実際の政治の動きとその原因を分析した一冊となっています。
90年代の自社さ政権を非常に高く評価している他、女性閣僚登用に一定の実績があった小泉内閣や、(旧)民主党が結果的に政権を獲得する上での議席大躍進に当たっての女性候補者擁立に貢献した小沢一郎氏に一定の評価を与えている一方で、政権獲得後の(旧)民主党中心の内閣については、女性閣僚の登用に消極的だった点で今一つな評価を与えています。総じて自民党に対して厳しい評価をしている一方、(旧)民主党に対してもジェンダー平等の観点からは今一つな評価であり、社会党→社民党や共産党、公明党をどちらかといえば評価しているようなスタンスです。先の衆院選でも女性議員比率はむしろ下がってしまったように、2010年代後半はジェンダー平等の観点からは停滞がより顕著になってしまったように思えるのですが、現況について編著者がどんな評価をしているのか、本書の改訂版か続編かが待たれるところです。
20~30年前頃には地方議会において無所属系の市民派議員が一定の活躍をしたとの記述があるものの、だんだんと純粋な意味での無所属議員の活躍は地方議会でも難しくなっているようで、現代に同じような動きは難しいように思えるので、より全国隅々の市町村議会議員・立候補者に対しての国政政党のより充実したバックアップが、国政のみならず地方議会も含めた政治の場におけるジェンダー平等には必要不可欠であろうとは思います。
より最新の、ジェンダー平等の観点からの世界各国との比較といった現代政治の動向について、本書よりも手軽に読みやすいものには「女性のいない民主主義」 (岩波新書、前田 健太郎 著)がありますので、併せて読んでみてはいかがでしょうか。
90年代の自社さ政権を非常に高く評価している他、女性閣僚登用に一定の実績があった小泉内閣や、(旧)民主党が結果的に政権を獲得する上での議席大躍進に当たっての女性候補者擁立に貢献した小沢一郎氏に一定の評価を与えている一方で、政権獲得後の(旧)民主党中心の内閣については、女性閣僚の登用に消極的だった点で今一つな評価を与えています。総じて自民党に対して厳しい評価をしている一方、(旧)民主党に対してもジェンダー平等の観点からは今一つな評価であり、社会党→社民党や共産党、公明党をどちらかといえば評価しているようなスタンスです。先の衆院選でも女性議員比率はむしろ下がってしまったように、2010年代後半はジェンダー平等の観点からは停滞がより顕著になってしまったように思えるのですが、現況について編著者がどんな評価をしているのか、本書の改訂版か続編かが待たれるところです。
20~30年前頃には地方議会において無所属系の市民派議員が一定の活躍をしたとの記述があるものの、だんだんと純粋な意味での無所属議員の活躍は地方議会でも難しくなっているようで、現代に同じような動きは難しいように思えるので、より全国隅々の市町村議会議員・立候補者に対しての国政政党のより充実したバックアップが、国政のみならず地方議会も含めた政治の場におけるジェンダー平等には必要不可欠であろうとは思います。
より最新の、ジェンダー平等の観点からの世界各国との比較といった現代政治の動向について、本書よりも手軽に読みやすいものには「女性のいない民主主義」 (岩波新書、前田 健太郎 著)がありますので、併せて読んでみてはいかがでしょうか。
2021年3月7日に日本でレビュー済み
データが充実している。机上の空論で終わらせてはもったいない。
この国で、子供・高齢者・障害者など弱者に生活の中で関わる人の多くは女性。その人たちが、意思決定の場で代表権を持たないことで、強者(日本の場合、健康な男性に象徴される)にお得な決定がされ続けてきた。
女性の被選挙権も、行使されるべき。
この30年では、大多数を占める弱者に冷たくて、大多数の人が貧する日本社会が作られてきたのだ。
この本のおかげで、これからどうなったらマシなのか、と考えるきっかけをもらった。
この国で、子供・高齢者・障害者など弱者に生活の中で関わる人の多くは女性。その人たちが、意思決定の場で代表権を持たないことで、強者(日本の場合、健康な男性に象徴される)にお得な決定がされ続けてきた。
女性の被選挙権も、行使されるべき。
この30年では、大多数を占める弱者に冷たくて、大多数の人が貧する日本社会が作られてきたのだ。
この本のおかげで、これからどうなったらマシなのか、と考えるきっかけをもらった。
2018年5月24日に日本でレビュー済み
先行研究がよくまとめられていて、この分野の入門書として役立ちます。
2020年8月16日に日本でレビュー済み
日本の女性議員についてよくまとめられてはいますが、物事の捉え方が非常に偏っています。
突っ込みどころはたくさんありますが、あとがきにそれらが凝縮されていましたので、ここで紹介しておきます。
①「女性議員を増やすメリットを問う前に、男性が多いことのメリットを問うべき」と著者は言います。
私は、男性議員が多いのは、男性を優遇したからではないと思います。
制度として、男女の政治参加は平等に認められています。そうした中で、女性議員が少ないという結果だけをみて「(クオータ制などを用いて)女性を増やすべき」とすることのメリットが問われているのですよ。
「男性が多いことのメリットを問うべき」と言われても、選挙の結果ですから、なんとも言えないですよね。選挙の結果が正しく反映されているだけです。
②「女性議員の少なさは男性支配的な政治文化を温存し、女性蔑視や性差別の再生産を通じて、女性の政治参画を拒み続ける。」と著者は言います。
本書全体に通底しているのが、この「女性は排除され、差別され、蔑視されている」という物事の捉え方です。もちろんそうした場合もありますから、これには男女関係なく断固として戦わなければなりません。
しかしながら、結果としての女性議員の少なさや女性管理職の少なさなど、著者の意に沿わない事象全般にこの考えを持ち出すのはおかしいです。
常日頃私が違和感を覚えるのは、
自分の理想の結果が出るまで「差別だ排除だ」と言い募る勢力の存在です。(女性のことに限らず)
こうした主張は、議論として卑怯なものだと考えます。
いくつか批判をしましたが、ためになる主張もありましたので紹介します。
それは、「政策を実現するために、コミットメント、ネットワーク、ポジションが大事だ」というものです。
これは、女性に関することに限らず、政策全般においてあてはまると思いますので、こうした視点でも政治をみていきたいです。
最後に、ジェンダーをめぐり私がモヤモヤとしていることを記します。
本書の中身とは直接関係ありません。
○「男らしさ女らしさではなくて自分らしさが大切だ」という教育を受けてきた者としては、「女性の視点を政治に反映」と言われると違和感を覚えます。
「男らしさ女らしさは存在する」という前提で「女性の視点を」と言われるのであればわかるのですが。。
(私はある程度の男らしさ女らしさは存在すると思っています。)
○制度として平等であるものごとについて、結果をみて「差別だ。不平等だ。」と主張する方々にも違和感を覚えています。
それは、「自分の理想の結果でない限り、文句を言い続けることができる」からです。
政治にしてもビジネスにしても、男女問わず、やる気と能力のある方に活躍してほしいので、結果だけをみてワーワーいうのはどうなんだろうと思います。
突っ込みどころはたくさんありますが、あとがきにそれらが凝縮されていましたので、ここで紹介しておきます。
①「女性議員を増やすメリットを問う前に、男性が多いことのメリットを問うべき」と著者は言います。
私は、男性議員が多いのは、男性を優遇したからではないと思います。
制度として、男女の政治参加は平等に認められています。そうした中で、女性議員が少ないという結果だけをみて「(クオータ制などを用いて)女性を増やすべき」とすることのメリットが問われているのですよ。
「男性が多いことのメリットを問うべき」と言われても、選挙の結果ですから、なんとも言えないですよね。選挙の結果が正しく反映されているだけです。
②「女性議員の少なさは男性支配的な政治文化を温存し、女性蔑視や性差別の再生産を通じて、女性の政治参画を拒み続ける。」と著者は言います。
本書全体に通底しているのが、この「女性は排除され、差別され、蔑視されている」という物事の捉え方です。もちろんそうした場合もありますから、これには男女関係なく断固として戦わなければなりません。
しかしながら、結果としての女性議員の少なさや女性管理職の少なさなど、著者の意に沿わない事象全般にこの考えを持ち出すのはおかしいです。
常日頃私が違和感を覚えるのは、
自分の理想の結果が出るまで「差別だ排除だ」と言い募る勢力の存在です。(女性のことに限らず)
こうした主張は、議論として卑怯なものだと考えます。
いくつか批判をしましたが、ためになる主張もありましたので紹介します。
それは、「政策を実現するために、コミットメント、ネットワーク、ポジションが大事だ」というものです。
これは、女性に関することに限らず、政策全般においてあてはまると思いますので、こうした視点でも政治をみていきたいです。
最後に、ジェンダーをめぐり私がモヤモヤとしていることを記します。
本書の中身とは直接関係ありません。
○「男らしさ女らしさではなくて自分らしさが大切だ」という教育を受けてきた者としては、「女性の視点を政治に反映」と言われると違和感を覚えます。
「男らしさ女らしさは存在する」という前提で「女性の視点を」と言われるのであればわかるのですが。。
(私はある程度の男らしさ女らしさは存在すると思っています。)
○制度として平等であるものごとについて、結果をみて「差別だ。不平等だ。」と主張する方々にも違和感を覚えています。
それは、「自分の理想の結果でない限り、文句を言い続けることができる」からです。
政治にしてもビジネスにしても、男女問わず、やる気と能力のある方に活躍してほしいので、結果だけをみてワーワーいうのはどうなんだろうと思います。