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盤珪禅師語録: 附・行業記 (岩波文庫 青 313-1) 文庫 – 1987/9/1

3.7 5つ星のうち3.7 23個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1987/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1987/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 294ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003331311
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003331316
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 23個の評価

カスタマーレビュー

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5つのうち3.7つ
23グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2013年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
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不生な仏心、仏心は不生にして霊明なものでござって
不生で一切事がととのひまするわひの
不生にして霊明な仏心に極まったと決定( けつじょう )して、
直ちに不生の仏心のままで居る人は、
今日より未来永劫の活如来(いきにょらい)で御座るわひの
・ ・ ・ 「 盤珪禅師語録 御示之聞書 」 本文 より抜粋.
.
盤珪永琢禅師の名は、かつて鈴木大拙全集の「禅思想史研究 第一」(岩波書店 1980年版 所収)、及び「盤珪の不生禅」(前出 所収)で知った。

同書で知り得た盤珪は、鈴木大拙という不世出の碩学の眼を通した「盤珪学」であって、我国の禅思想の潮流の一としての道元禅師と白隠禅師との比較対照としてのものであり、あるいは禅宗史の中での特色ある宗風の記録としてのものであった。

盤珪禅師については、なぜか「妙好人」とイメージが重複したまま十数年が過ぎていたが、最近大拙全集を再読する機会があり、盤珪禅師のお名前を久しぶりに目にした。
歳月の経過もあり、以前よりも深く盤珪禅師に惹かれるものを感じて、本書「盤珪禅師語録」(岩波文庫)を拝読した。

盤珪禅師(大法正眼国師、1622〜1693 )の概略は、以下。

1.仏典や漢籍を一切引用せず、平語(話し言葉)で、貴賤僧俗に分けへだてなく広く説法をされたこと

2.生涯を通して「不生の仏心」・・・我執を離れた 生まれたままの心 という、一語のみを説かれたこと

3.当時(江戸元禄期)、大衆からは「活き釈迦」と敬慕され、貴顕も、曹洞・臨済・天台・真言ほか儒家や神道の指導者までもが、 「みな己れの名望を忘れ、 座下に詣りて、禅要を諮決し、心酔悦服す 」  と伝えられること、 など。

今日でこそ当たり前ではあるが、江戸初期にあって、女性に対してハッキリと 「女人も等しく不生の仏心を得て、仏となり得る」 と説かれている。

禅における 「悟り」 には、各自各様の態様があろうかと思うが、悟りの体験を通して顕在化する 各々自身の 「仏心 ( 正覚の本質 ) 」 の 、ひとつの重要な 発現形態 である 「大悲心」  (⇒現世に迷う多くの人々 即ち「衆生」を、救いたいと願う心。鈴木大拙は「これが宗教の本質である」と説かれている・・・大拙全集第八巻「日本の霊性化」p247 ) の在りようにおいて、盤珪禅師が示された大悲の心は、禅宗のみならず 宗教界全体を俯瞰しても、最も深く、大きく、透徹したものであった と強く感じる。

鈴木大拙が論ずる如く  「 所願は罪より清められること 」に外ならず、「 罪は 自性の実在 を信じ、自性の主張を最後的のものとして肯定し、 仏性の内在に気付かぬこと に在る 」 のである ( 鈴木大拙全集 第七巻  「 仏教生活と受動性 」 )。

命を削る厳しい修行の中、26歳で 「不生ですべてがととのう」 と悟られた後は、72歳で示寂されるまで生涯ただひたすら平語で 「不生の仏心」 を説き、一編の著作も残されなかった盤珪禅師は、現代に生きる私たちにとって、知名度こそ 大拙居士が対照した 道元・白隠の二師に対し、あるいは後塵を拝するかも知れないが、一人の宗教人として、又、多くの人々の 「心の指導者」 として身をもって示された存在の大きさは むしろ二師を凌駕している、と評しても決して過言ではない。

「盤珪禅師語録」で 禅師の「説法」の筆記を拝読するとき、赤心片片たる禅師への思慕と共に、時空を超えて師の説法に 聴衆のひとりとして参じてみたい との思いが、澎湃として募る。

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【追記】
鈴木大拙全集(第19巻)の、「文化と宗教ー宗教的反省」の中の、「盤珪と白隠」という論文はきわめて盤珪と白隠の差異につき、正鵠を得たものである。
云く、「 白隠は尚専門家の臭味を脱しきらぬ。盤珪は白隠に比して、人物の上に、宗教的資質の上に、一層洗練せられたところがあったかと思われる事実は、其弟子が盤珪に対する態度においても、認むることが出来る 」 と記している。

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27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分は若い頃から宗教に興味があり、キリスト教、仏教、ヒンズー教、その他ヨガやスピリチュアル関係の本を読み続けてきました。仏教の中では禅宗、なかでも白隠と、この盤珪が好きで、不生の仏心は、アドバイタや現代のスピリチュアルの教えにも通ずる普遍的なものであると思います。
ただ、以前からよくわからないことがあり、それは「不生の仏心」を「決定けつじょう」する、という部分です。禅宗なら、当然悟りを得るため、不生の仏心を体得するために、坐禅などの修行をするのが常道なのに、「けつじょう決定」という言葉に違和感を感じていました。それは、どちらかと言えば信仰に近い表現です。自力でなく、他力。どの解説本を読んでも、ここを詳しく説明したものは
ありませんでした。
それが最近、なるほどと思った本があり、それは朝比奈宗源老師の「覚悟はよいか」他の著作に書かれた「仏心の信心」という考えです。老師は、見性した後、親戚の法事でご自分の体験を披露したところ、参加した親戚のご老人に「あなたは悟れてよいが、私は歳だし、修行もできない。生きているうちに仏心を体得できないのは、とても悲しい」と言われ、その言葉に衝撃を受けたのです。以降、その答えを求めて遍歴し、浄土真宗の高僧に知己を得て、辿り着いた境地が「仏心の信心」でした。仏心は修行して悟ることもできるし、悟らなくても、信じることで体得することもできるという教えですが、盤珪禅師のおっしゃる「不生の仏心を決定する」は、このことだったのではないかと思いました。こうした視点から盤珪の不生禅を解説した著作がないのが、不思議です。この、仏心を決定する、ということが、盤珪禅師の教えが、他と禅の教えと分つ重要なポイントだと思うのです。
2020年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏教を学んでいるうちに,ある人から「盤珪が面白い」と教えていただいた.その人が盤珪の面白さを十分に伝えてくれたので,原典を読んでみたいと思い,本書を注文した.

しかしながら,ほとんど読めていない.理由は古文体で書かれていることもあるが,それは承知で購入したので,読み進める上での問題にはならない.問題はあまりに文字が小さいのである.拡大コピーでもしない限り,先ず読めない.もっとも,かなり目の良い方なら問題ないのかもしれないが.

こういった問題は,書店で手にして実物を見ていれば,生じ得ないものである.ネット通販での購入の注意点として良いだろう.もちろん,出版社さんにもAmazonさんにも責はなく,購入者である私自身の失策である.

本書の性質からして,文字を拡大しての再版の可能性は極めて低いだろう.今後も本書が流通するものと予想する.この書評が本書の購入をご検討されている方への一助になれば幸いである.
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年11月8日に日本でレビュー済み
龍門寺本にあるように「平生佛心で居る」ことを、日常の話し言葉を用いて衆生に求めるものです。

語録篇
 盤珪佛智弘濟禪師御示聞書 上
 盤珪佛智弘濟禪師御示聞書 下
 佛智弘濟禪師法語 祖仁逸山編
 佛智弘濟禪師法語 追補
 補遺
 贅語 山常智常編
 手簡
 和歌 
 漢詩
行業篇
 大法正眼國師盤珪琢大和尚行業曲記 山堂智常編
 再住妙心開山特賜佛智弘濟禪師行業略記 祖仁逸山編
 正眼國師逸事狀 湛然編
本書編纂上の基礎材料につきて
解説 古田紹欽

時間をかけて読むとよいと思います。
 
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年7月5日に日本でレビュー済み
一円相や一指禅、即心即仏の宗旨は変えぬ、主人公よと自分に毎日呼び掛けるだの、禅僧には毛色の変わった者が少なくない。本書の盤珪禅師も生来仏心が人に具わるから悟りは不要と説いて、その信念を貫き通した人物だったらしい。

単純明快な徹底ぶりは清々しく痛快である。衆生に自らの半生の過ぎ来しを語る段(42~51頁)では、「明徳」の疑義を究明せんと善知識(先達)を巡歴した挙句、実際に身体を壊すほどの無茶な坐禅修行に明け暮れた往事を知ることとなる。

「身どもは佛法もいはず、又禪法もいはず、説ふやうも御座らぬわひの。みな人々今日の身の上の批判で相すんで、埒(らち)の明事(あくこと)なれば、仏法も禪法も、とかふやうもござらぬわひの。」(37頁)

説法にもっと因縁古事物語などを織り込む方が良いとの勧めを「衆生に毒をくはするやうなもの」と斥け、自得できた「不生の正法」のみを示し続けて来たという。

「霊明なものが佛心、佛心は不生にして、一切事がととなふといふ事さへ、人々たしかに決定(けつじょう)してしつて居れば、もはや人には教壊せられず、いひくらまされず、人のまどひをうけぬやうになれますわひの。そのごとくになつた人を、決定した人といひて、すなはち今日不生の人で、みらい永劫の活如来でござるわひの。」(55頁)

味わいある話し言葉(平話)で繰り返し述べられる「靈明な不生の佛心」に居ますことが、どれほどの難事かが読み進むと判ってくる(凡夫は「迷ひを出かして」しまうから)。

途中の龍門寺本の引用で「血を以て血を洗ふやうなもので厶る。」「佛心を念に仕替さしやれる事、是が第一で厶る。」と、不思議な文字「厶る」が登場し面喰ったが、「ござる」の読みと判った。

播磨国(兵庫県姫路市)生まれの盤珪禅師は、関西弁独特の抑揚で語った筈だ。「~しませぬわひの」「~御座るわひの」という語尾は、多分下がり口調だろう。任侠映画で有名な広島の方言(「~じゃけんのう」)とは似て非なるもの。浪速言葉の「~せえへんなぁ」「~そりゃそうやわなぁ」に近かろう。

令和二年の読者には、正直、読み易いとは言えぬ旧字旧仮名遣いの活字組版だが、馴れた暁には、齷齪(あくせく)しない飄々たる盤珪禅師の生き方に感銘と賛意を覚えることだろう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1941初版。かなづかいが古すぎる。時間にかなり余裕のある方が辞書片手に集中して取り組まねば理解は無理です。そこまでの意気込みのない者としては正直言ってお金損した。。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から、読みたかった本の一つです。
熟読していきたいと思います。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あれこれと周り道をしてきましたが、一読して、もう何も得る必要なしと大満足でした。「不生」に極まるとの禅師の御示しをスルメのように噛み締めるべし、です。 岩波文庫さん、早く復刊して世界の宝を一人でも多くの人の手に触れるようにしてください。 参考書としては、これも古書ですが、鈴木大拙全集第一巻がオススメです。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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