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僕のジロ・デ・イタリア 単行本(ソフトカバー) – 2017/7/6
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そんな山本選手が、2016年のジロの裏側をリアルに、詳細に描いたスポーツノンフィクション。大学卒のいわゆる「普通の若者」であった彼が、世界的自転車レース、「ジロ」を完走したことを描いた自転車スポーツノンフィクション。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社東京書籍
- 発売日2017/7/6
- 寸法13 x 1.5 x 19 cm
- ISBN-104487810671
- ISBN-13978-4487810673
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出版社より
はじめに
「ジロ・デ・イタリア」、通称「ジロ」の話をしようと思う。
ジロは、サイクルロードレースのひとつの頂点だ。フランスの「ツール・ド・フランス」、スペインの「ブエルタ・ア・エスパーニャ」と並び、「グランツール」と称される世界最高峰のレース。3週間にわたり、アルプス山脈や、地中海沿いや……要するにイタリア全土を駆け巡る、3000㎞をはるかに超えるレースである。
そんなレースを走るのは、どんな超人たちなんだろう? そして超人たちは、どうやってこのレースを走るんだろう? そう思われる方は多いだろう。ジロの、いや、グランツールの裏側は、今までほとんど語られたことがないからだ。だから僕は、ジロの話をする。ジロって実は……。
いや、その前に、僕の話をさせていただきたい。
僕はジロを完走した日本人で5人目の選手だ。だからジロの最中も書き続けたブログをもとにしてこの本にまとめられたのだが、重要なのはそんなことではない。
驚くなかれ。僕は、超人でも何でもない、ごく普通の少年だったのだ。
普通の子ども
僕は、自分を特別だと思ったことはない。
改めて少年時代を振り返ってみても、明らかに人と違うと言える点は2つしか見つからなかった。
その1。小学校6年間はほとんど、半袖・半ズボンで通したこと。
僕が住んでいた奈良は盆地なので冬は結構冷えるのだが、平気だった。別に薄着にこだわる主義主張があったわけではなく、家が貧乏だったわけでもなく、単に寒さに強かったのである。このことは後に、寒いレースでもあまりパフォーマンスを落とさないという形で意味を持ったが、寒さに強い子どもはそれほど珍しくもない。ほら、どこでも学年にひとりは、かたくなに半袖・半ズボンで通す子どもがいたではありませんか。あれが僕だったというだけの話である。
その2。小学生のときに、空き巣を捕まえたこと。本当である。
近所に空き巣が入ったのだが、その犯人がなぜか僕の家の裏に潜んでいたのを見つけ、追いかけて取り押さえた。おじいさんだったことを覚えている。これは胸を張って珍しい経験だと言えるが(小学生時代に空き巣を捕まえたロードレーサーが世界に何人いるだろうか?)、しかしどう考えても、レーサーとしての僕にとって特に意味はない。ついでにいうと、オチもない。
つまり僕は、寒さに強く、泥棒を捕まえたことがある、しかし、ごく普通の子どもだったのだ。あえて特徴を探すならば、運動には苦手意識があり、勉強と読書が好きで、学者に憧れていたのだが、そんな子どもはいくらでもいるだろう。
そう、運動はどうも苦手だったのである。好きだったが、苦手意識が抜けなかった。
体育教師だった父親の影響で4年ほど柔道をやっていたが、全然強くなかった。楽しかったが、そもそも勝とうという気持ちもあまりなく、実際勝てなかった。たしかサッカーをやろうとしたこともあるが、ダメだった。球技は特に苦手なのである。さらに、かけっこも遅かった。
強いて挙げるなら、マラソンだろうか。マラソンでは、いつも学年でトップ10には入れた。持久系の能力はそれなりに高かったらしい。ただ、学年トップ10ということは小学校のトップ60ということであり、市の、県の……と考えると、ずば抜けているとはいえない。
身体能力に関しては、球技以外の跳び箱やスキーは上手くできた記憶がある。つまり、直接に自分の体を操る力はあるらしいのだが、ボールなどのモノが関係してくると、とたんに上手くいかなくなるということだ。でも、マラソンも跳び箱も、そうしょっちゅうやる種目ではない。小学生のメイン種目たる球技がダメだと、どうしても「運動が苦手」というイメージになる。
性格もマジメというか、わりと大人しいほうだったので、僕は目立たない子どもだった。冬に半袖・半ズボンはやや目を引いたかもしれないが、デビューから2シーズン目以降(つまり2年生以降)は、「そういう奴」ということで定着したため、差別化ポイントにはならない。
休み時間は基本的に図書室にいた。本が好きだったのである。中学校に上がったころには、学者になることを夢見るようになっていた。そのころは毎月、お小遣いをはたいて雑誌『Newton』を買っていたくらいだから、なかなかの入れ込みようである。宇宙関係の話が好きだった。
当時の僕は、どこからどう見ても、将来プロスポーツ選手になる少年ではなかったと思われる。最近、中学校の先生に再会する機会があったのだが、今の僕の職業を知ってびっくりしていた。無理もないだろう。
ただ、部活はスポーツ系にすべし、という家の方針もあり、何より運動は好きだったので、スポーツは続けていた。水泳をちょっとかじった後(成績はやはり普通)は、中学のハンドボール部に入った。やったことがない種目なので、もしかしたら上手くなるかもしれないと思ったためだが、残念ながらそうでもなかった。「自分はスポーツがダメ」という潜在意識が邪魔をしていたのかもしれない。
高校は、県立の奈良北高校に進んだ。理由は2つあった。
ひとつは、理系を集中的に学べる「理数科」という学科があったこと。理数科でしっかり勉強して理系に強い大学に進み学者になる、というルートを思い描いていたからである。
もうひとつの理由が、自転車競技部があることだった。
そう、僕はこのころから、自転車競技に興味を持ちはじめたのである。
僕でも勝てる?
「サイクルロードレース」ではなく「自転車競技」と書いたのは、当時の僕がサイクルロードレースをまったく知らなかったからである。ツール・ド・フランスすら知らなかったと思う。小学生のころ、父がちょっとだけトライアスロンに手を出したことがあり、僕の家にはロードバイクがあった。だから、ママチャリとは違う、競技用自転車があるということは昔から知っていた。
そもそも僕は、自転車という乗り物が好きだった。子ども用のMTB風自転車に乗っていたのだが、それで10㎞以上離れたところまで買い物に行ったりしていた。行動範囲が広がることが楽しかったのだ。そんな流れで僕は、高校からは自転車競技をやってみようと思ったのだった。どういう競技かはよくわからないが、どうせなら珍しい競技にチャレンジしてみたかったし、遠くへ行けるから楽しそうに思えたということもある。
高校受験は自己推薦だったので、早めに終わった。ヒマになった僕はトレーニング(?)をはじめ、来る自転車部デビューに備えることにした。といっても、例のMTB風自転車で走り回るだけだったのだが……。入学式を終えたその足で自転車部に入った僕は、トレーニングの成果か、同学年で最初に、外での練習に連れて行ってもらえることになった。自転車は、先輩から格安で譲ってもらったテスタッチのクロモリである。
そこでちょっとした「事件」が起こる。4人いた3年生の先輩の1人に、疑似レースで勝ったのだ。だから何? と読者のみなさんは思われるかもしれないが、僕的には事件である。なんせスポーツが苦手だった僕が、他人に勝ったのだから。
事件は続く。僕はその後レースに出るようになったのだが、1年生の終わりに出場した「チャレンジサイクルロードレース」で、なんと優勝してしまったのだ。鮮烈な経験だった。
この僕が、スポーツで他人に勝つ!? 伊豆CSCの最後の3㎞ほどを独走して勝ったのだが、ゴールラインが近づくにつれて信じられない気持ちになったことを覚えている。
僕でも勝てる競技がある。
僕は、自転車競技にハマりだした。進学校だったので勉強は大変だったが、なんとか部活と両立させた。とはいえ、まさか将来、プロのレーサーになるなんて微塵も思っていなかった。志望はあくまで学者。愛読書は自転車雑誌ではなく、相変わらず『Newton』である。
クライマーじゃない!?
「勝てる競技」に出会えた新鮮さでトレーニングを続けていた僕だが、あくまで「勝てる」というレベルであって、自分がものすごく強いというイメージはなかった。今思うと、同世代に強い選手が多かったせいもあるだろう。その後プロになった選手は多い。
僕は進路を少し変更することにした。自転車競技の比重を上げたのである。成績を考えると、大学へのスポーツ推薦がとれそうだし、進学後も自転車競技を続けられそうだ。だが、プロ選手になれるほど強くはないだろう。なら、大学卒業後は学者ではなく体育教師になり、自転車部の指導ができたら楽しいのではないだろうか。体育教師だった父を見て育ったことと、高校の自転車部の先生が熱心だった影響もある。
僕は競技を続けた。高校2年生では、ツール・ド・東北で総合優勝できたことで、ナショナルチームでのイタリア遠征に行く機会に恵まれた。レースはキツかったが、楽しめた。3年生では、インターハイを勝てた。大学では自転車競技に専念しようと決めた僕は、自転車が強く、体育教師の教職もとれる鹿屋体育大学に進学する。
当時の鹿屋には、内間康平さん、伊藤雅和さん、吉田隼人さん、野中竜馬さん、黒枝士揮ら錚々たるメンバーが集まっていた。だが体育会系という感じではなく、若手にもチャンスはある。いい大学だったと思う(思うに、体育会系はこの競技に向いていないのではないか。理由は本書の終わりで述べる)。部では、内間さんが作ったメニューのもとでトレーニングを重ねた。周りのメンツのせいか、強くなった実感はあまりなかったが、これには僕の思い違いもあったかもしれない。というのも、僕はそのころまでずっと、自分のことをクライマーだと思っていたのだ。上りで他の選手を千切れることが多かったためである。平地は苦手だと思っていた(なお、下りはもっと苦手である。今も)。
当時から僕はがっしりした体型だったから、周りからツッコミも入ったが、僕の信念(?)は揺るがなかった。そして勘違いとは恐ろしいもので、僕はプロを相手に、クライマーとして鮮烈なデビューを飾ろうともくろんだ。舞台は、霊峰・富士山。2010年6月のJサイクルツアー第6戦、富士ヒルクライムである。このレースは、ホビーレーサーの森本誠さんが日本人コースレコード(当時)で優勝したことで話題になったが、実は僕も出ていたのだ。しかも、勝つ気満々で。今思うととんでもない話である。
レース開始後、自信にあふれた僕は6名の先頭集団に入る。そのメンバーは長沼隆行さん、平塚吉光さん、ヴィンツェンツォ・ガロッファロさん、狩野智也さん、そして森本さんと、プロ・アマの山岳王を集めた凄まじいメンツだったのだが、僕はよくわかっていなかった。あまり選手を知らなかったのである。ところが、恐ろしく速い。平塚さんと森本さんが抜け出すと、僕はずるずると遅れていき、36位であえぐようにゴールした。
ショックだった。実は僕はクライマーではなかったというオチなのだが、そのころの僕にはわからない。同じ6月にあったU23の全日本選手権ロードレースで勝てたのは快挙だが、自信を取り戻せたわけではない。
そんな状態で、9月のツール・ド・北海道を迎えた。
成長をする
鹿屋は、学生チームとしては最強に近かったが、とても国内外のプロを相手にするUCI(国際自転車連合)レースで戦える体制ではなかった。僕も、自分が勝てるレベルにないことはわかっていたので、成績を出すには捨て身しかないと決めていた。その方法は決まっていた。ラスト3㎞からの独走である。つまり、僕の勝ちパターンは高1のころから変わっていないのだ。そして、逃げに乗れた第3ステージではそれが上手くハマり、僕は勝つことができた。
これは、ツール・ド・北海道史上初の学生による優勝で、ついでに僕は史上最年少(18歳)のステージ優勝者でもあったから、このレースで僕の名前を知った方も多いと思う。ずいぶんと評価していただき、実際、僕はこのレースをきっかけにプロ選手になることを意識しはじめる。その後も僕は、U23の全日本を連覇したり、2013年にはもういちどツール・ド・北海道でステージを獲ったりと成績を出せ、NIPPOでプロ入りさせて頂けることになった。そればかりか、ジロ・デ・イタリアに出場する機会にまで恵まれた。
しかし、上手くいかなかったレースもたくさんあるし、やはり選手は向いていないと感じたこともある。
ここまでを振り返ると、改めて思うのだ。僕は、普通の少年だったな、と(寒さに強く、泥棒を捕まえたことはあるが)。
だが、もうひとつ言えることがある。それは、僕が少しずつ成長してきたことである。僕は、普通の学生である僕が、どのように、またどの程度成長できるか気になるようになった。
それで、僕はブログをつけはじめた。僕の成長の記録は、これから自転車競技をはじめ、ヨーロッパを目指す少年少女たちの参考になるかもしれないと思ったためだ。
なぜなら、ジロを走った僕は「普通の少年」だったから。
目次
はじめに
プロローグ
ジロ・デ・イタリア2016
第1ステージ
第2ステージ
第3ステージ
最初の休息日
第4ステージ
第5ステージ
第6ステージ
第7ステージ
第8ステージ
第9ステージ
二度目の休息日
第10ステージ
第11ステージ
第12ステージ
第13ステージ
第14ステージ
第15ステージ
最後の休息日
第16ステージ
第17ステージ
第18ステージ
第19ステージ
第20ステージ
最終ステージ
エピローグ
商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 東京書籍 (2017/7/6)
- 発売日 : 2017/7/6
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 224ページ
- ISBN-10 : 4487810671
- ISBN-13 : 978-4487810673
- 寸法 : 13 x 1.5 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 520,467位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 20,047位スポーツ・アウトドア (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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イメージ付きのレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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筆者の文才がいかんなく発揮されています。
途中のほかの選手達との関わりも微笑ましくて楽しく読めました。
走り続けよう。
読んでいて、自分も一緒にレースに出ているような感じになりますし、チームのレース展開の内情、作戦とレース展開による齟齬等が選手の目線で読む事が出来ます。