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海上護衛戦 (角川文庫) Kindle版

4.5 5つ星のうち4.5 236個の評価

海軍で海上護衛総司令部参謀をつとめ、シーレーン(海上交通線)確保の最前線に立っていた著者がその戦略を綴った護衛戦の貴重な体験記。現代日本の防衛を考える上でも欠くことのできない記録である。
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商品の説明

商品説明

いわゆる戦争について書かれた書物の中で、「護衛」に関したものは、特に日本では少ないであろう。太平洋戦争当時においても、上陸作戦との関連においてはともかく、通商保護に関してはほとんど関心を持たれていなかったらしい。しかし、資源小国の日本にとって、太平洋戦争の開戦の理由の大きな部分は南方の資源の確保にあったはずであり、その輸送路が断たれれば戦争継続はおろか国民生活にも重大な支障となることは明らかであった。そしてそれは現実のものとなったのである。
著者は、昭和18年から終戦まで海軍で海上護衛総司令部参謀を務めていた。もっとも、総司令部といってもその戦力はお粗末なものであり、軍備の劣る老朽艦や小型艦ばかりが配備されていたという。遠洋航路の大型商船にとっては速度が遅い護衛船ではかえって足手まといになるケースもあった。また、護衛作戦についても満足な知識を持つものは少なく、素人の集まりといってよかった。
本書からは、軍上層部の護衛への無理解に対する著者の歯噛みが随所に伝わってくる。護衛は戦果を挙げることがほとんどなく、味方が被害を受ければ非難される損な役回りだ。そして、その重要性は極めて大きいのにほとんど評価されることはない。
現在の日本は、戦時中以上に海外に資源を依存している。すなわち、シーレーンの重要性は当時よりはるかに増しているのだ。この問題について考えるとき、戦時における貴重な体験記として、本書の持つ役割は決して小さくないだろう。(杉本治人)

著者について

海軍で海上護衛総司令部参謀をつとめ、シーレーン(海上交通線)確保の最前線に立っていた著者がその戦略を綴った護衛戦の貴重な体験記。現代日本の防衛を考える上でも欠くことのできない記録である。

登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B00KIG2XD8
  • 出版社 ‏ : ‎ KADOKAWA (2014/5/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2014/5/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ファイルサイズ ‏ : ‎ 14156 KB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
  • X-Ray ‏ : ‎ 有効
  • Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
  • 付箋メモ ‏ : ‎ Kindle Scribeで
  • 本の長さ ‏ : ‎ 378ページ
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 236個の評価

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大田 篤
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月8日に日本でレビュー済み
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たいへん名著ですが、内容があまりにも酷い現実なので読むのが辛くて遅くなります。後方軽視は彼我の国力差から仕方のないことだったのかと思いますが、なぜか国力のある現代日本が、後方軽視や予備力軽視など当時と同じことをしていると仕事柄、感じました。
2024年3月20日に日本でレビュー済み
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購入動機は先に歴史群像(2023年4月号)に記載されていた、長南政義氏の「海上護衛戦」を理解するために購入しました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年10月31日に日本でレビュー済み
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海上護衛を優先すると、前線の戦力が覚束なくなる。陸軍も海軍もタンカー・輸送船を必要としている。本を読んでいて何度も自分ならどうしたのだろうと思いました。史実以上の結果は出せないかもです。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年9月1日に日本でレビュー済み
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実戦経験者の書籍は大変貴重です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年10月23日に日本でレビュー済み
著者大井篤海軍大佐は、山形県出身、海兵卒業後、米国留学、駐米大使館付武官、海軍大学校甲種学生、大本営参謀を経て、昭和18(1943)年11月より終戦まで海上護衛総隊司令部参謀を勤める。戦後はGHQ戦史課勤務。本書は昭和28(1953)年2月という、戦後極めて早い時期に海上護衛のエキスパートに依って書かれた、極めて高い価値を持つ一次資料である。

昭和16(1941)年7月29日、日本の南部仏印進駐により石油の対日全面禁輸が課せられると、蘭印油田地帯を武力制圧し、原油を還送する戦略が考えられた。しかし肝心の海上輸送力については、開戦時の船腹量(630万t)は損失が増産量を下回るという極めて甘い被害見積を立てていた。日本が戦争遂行に必要な船腹量は590万t(民需300万t・陸軍110万t・海軍180万t)、造船能力は1年目45万t、2年目60万t、3年目80万tというのがその根拠である。

米海軍は長年、日本海軍同様潜水艦を艦隊決戦に使用する目的で演練を重ねていた。ところが第二次世界大戦開戦後、独海軍の無制限潜水艦戦の被害と脅威を間近に経験すると、その使用法を柔軟に変化させた。太平洋戦争が始まると、真珠湾で喪失した戦艦部隊に随伴し艦隊決戦を想定していた潜水艦(全保有数111隻中、太平洋戦線に展開していた73隻[大型55・中型18])部隊を即座に対商船無制限作戦に振り向けた。ところが潜水艦魚雷の大量喪失(マニラ魚雷庫が日本機の空襲で焼失)や、米軍の魚雷の性能不足により、戦争初年の船舶喪失量は日本側の被害見積を大きく下回る。緒戦の勝利に増長した日本軍は、アリューシャン・ミッドウェー・フィジー・サモア・ポートモレスビー攻略を計画。しかし戦理を無視した長大な補給戦に充てられる輸送船量も護衛艦数も全く不足した儘であった。

占領範囲の拡大は見かけ上、長期持久態勢の完整に見えるが、補給に多くの船腹を使用し、軍徴用船が増え民需船舶が減少する事で国民生活を圧迫し物資が窮乏、軍需生産も低下する。更に補給線維持の為に損耗船舶を補う造船工業力が益々重要化するのに反し、民需船舶を徴用した為に工業原料の輸入量が低下し、造船が困難になるという悪循環が重なり、敗勢を加速していくのである。

ミッドウェーの敗戦によりフィジー・サモアは断念した日本軍はソロモン諸島への進出は諦めず、ガダルカナル攻防の泥沼の消耗戦に引き摺り込まれ、多くの高速優秀船を含む33隻21万9千tを喪失。遂に撤退に到る。昭和17年末の船腹量は陸軍162万3400t、海軍181万4千t、民需262万9300t、合計606万6700tで、民需最低必要量300万tを遥かに下回る。開戦後13ヶ月で既に112万tの船舶を喪失していた。

昭和18(1943)年の商船喪失は開戦前の予想(月7万t)を大きく超える月13万tに達し、6月に至って漸く護衛艦艇の新規建造を計画したものの、商船523隻22万1千tの建造計画に対し僅か34隻という実情にそぐわないものであった。更に6月以降、米海軍は不具合の多かった魚雷を新型電池魚雷に更新、船舶被害は目に見えて増大していく。

絶対国防圏構想が出た後も日本軍は戦線を縮小せず、遥か国防圏外に長躯しラバウルやトラックへ資材兵力を送り続けては膨大な軍需物資を消耗し、船舶も潜水艦に撃沈される数が増大する。その為守るべきマリアナ・カロリン諸島には築城資材も送らず、防御準備は全く進展しない。此の頃を境に、米軍は欧州戦線の勝利を確信し戦力を太平洋に重点化し始め、作戦行動する潜水艦を118隻に増勢、9月の喪失量は45隻18万tに達した。それ以降も鎮静化の気配もない中、11月15日、連合艦隊と同格の海軍護衛総司令部(司令長官及川古志郎海軍大将)が発足した。しかし組織作りから始めていた最中の11月の喪失量は61隻31万tに激増、一刻の猶予もならない状況に陥った。

12月の船舶被害61隻21万t、昭和19(1944)年1月は87隻34万tの内
、潜水艦による被害は82隻36万tに上ったが、その頃護衛総司令部は、機雷堰敷設の為の機雷を出し渋る軍令部との交渉に時間を費やし、日本海軍初の護衛・対潜哨戒専門の第901海軍航空隊を発足させたに過ぎない。2月17日からの米機動部隊のトラック空襲では43隻の艦艇船舶が撃沈され、商船は34隻20万4696tを喪失。19日には南シナ海で貴重なタンカー5隻を喪失。2月の被害は122隻54万8376tに及んだ。3月31日、パラオ空襲で船舶23隻10万t喪失。この頃やっと複数の米潜水艦がレーダーや無線で緊密に連絡を取り合いながら組織的な攻撃を仕掛けるウルフパック戦術を採っている事が解ったが、護衛艦艇の質量共に不足する日本側に有効な対策は打てなかった。

5月5日、軍需省よりボーキサイト欠乏による還送強化の強い要請が出る。著者は海上護衛総司令部作戦参謀として対策会議に出席したが、軍令部(統帥部)からは誰も来ないという姿勢に対し、『イギリスでもアメリカでも護衛というものは軍令部とか海軍省作戦部が、その大本の、計画のみならず実務もやるし、また、指揮もやっているのである。日本の軍令部はそれを逃げて、護衛総司令部などというものを作ってこれにおしつけていたのだ』と憤懣を綴っている。そして激増する被害に漸く民需船舶増産と護衛の重要性を認識し始めたが、時既に手遅れであり、その段階に至っても思い切った措置を取らず、護衛兵力増強の為に連合艦隊の兵力を割く事もせず、人的・装備的向上に海軍は何一つ手を打たなかった。

6月19日、マリアナ沖海戦に敗北、その後サイパン島陥落。此の決戦でも米潜水艦は猛威を奮った。東條内閣は総辞職し、海軍大臣に米内光政大将、軍令部総長に及川古志郎大将、護衛総司令部司令長官に野村直邦大将が着任。8月9日の大海令33号により護衛総司令部は連合艦隊指揮下に編入、その独立性を失う。既に此の頃は南方輸送路遮断は数ヶ月以内と判断され、来たる日迄に1隻でも内地へ資源を還送しなければならない段階にあった。その願いも虚しく、9月は比島方面に襲来した米機動部隊により、21万3千t、潜水艦により18万1千tを喪失。台湾や沖縄の港湾にも甚大な被害を受ける。比島戦の始まった10月には潜水艦による被害は戦争中最大の33万tに達し、南方資源の内地輸入は絶望的となり、ボーキサイトは9〜12月の合計4.8tで、その年の夏に比べ1/8に低下している。こうして航空機生産は事実上破綻した。11月28日、空母「信濃」撃沈。12月19日、空母「雲龍」撃沈。日本近海さえも安全に航行できる海は既に無かった。

昭和20(1945)年1月は、戦争遂行に必要な海上輸送力は月300万tの計画に対し110万8.906tに低下。此の時期は米機動部隊が南シナ海で日本商船団を索敵攻撃し、幾多の貴重な船団が壊滅する。3月19日にシンガポールより「ヒ88丁」船団が最後の残存艦艇を掻き集め出港。23日より沖縄への艦砲射撃が始まり、南方輸送は杜絶。B-29は関門海峡に約2.000発の機雷を投下し、内海までも封鎖された。4月6日、天一号作戦実施の連絡を受けた著者は以下の様に梗概している。

『この際、4000トンという重油があれば、大陸からの物資輸送は活発に行われ、また、日本海への敵潜の侵入を食い止めるのに大いに役立つのに、大和隊に使う4000トンは、一体、日本に何をもたらすのだろう。敵軍をして、いたずらに「大和討ち取り」の歓声をあげさせるだけではないのか。』

そして終戦までに日本海までが潜水艦と機雷投下で制圧され、重油も無く、6月30日からは遂に大陸から内地へ食糧をあらん限りの船舶で緊急輸送する「日号作戦」までが始まる。既に国民は餓え、特に塩の欠乏は危機的状況に陥っていた。7月14日には機動部隊による北海道・東北諸港が攻撃され、大小船舶46隻(11万t)と機帆船150隻が撃沈破され、青函輸送さえも絶たれ、国力の全てを喪失して敗戦を迎えた。

海軍戦略の大家、マハン(Alfred T.Mahan)米海軍少将は、『戦争は軍事作戦遂行と併行的に通商を続け得る側が勝つ』と第1次大戦前に述べている。そして米海軍作戦部長キング大将は、「もし米国が(原子爆弾など使わずに)待っていたら、そのうちに、海軍による封鎖の効果によって、油、米、医療品、その他の重要物資の欠乏により、日本を降伏のやむなきに至るまで、飢えに陥らしめたことであったろう。しかるに陸軍は、海上兵力の威力を下算し、日本本土に直接侵入し、制圧占領すべきことを主張した。』著者は此の意見を知らなかったが、本書を執筆し最後に述べた結論は、図らずも両者の意見が一致していた。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年8月1日に日本でレビュー済み
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 さすがに世評を賑わせた名作ですね。60年前の軍人さんが書いたものとは思えない,
面白さとわかりやすさです。最近の評論家などの本とは,月とスッポンですね。
まだの方は,ぜひ読んでみて下さい。
筆者の文章力,分析力,構成力は脱帽ものです。実に分かりやすく説得力があります。
米軍側の記録で一つ一つウラを取り確認した上で,当時の日・米軍の分析との差が大き
ければ,その理由も合理的に推理して提示されています。非常に理論的です。

 読んで感じたのは,開戦の公的理由の『石油等の輸入を止められたので,南方資源を
軍事占領して,日本に輸入してやっていく』がウソだった。南方資源を輸入する商船航路
の確保など何の考慮もされていない。海軍は国民生活を守るどころか,ただ米海軍と
決戦をして日本海海戦に優る業績を上げたかっただけ。陸軍は海軍の暴走を修正したり,
別の構想を考える力もなく,海軍と心中してしまった。
何のために戦争を始めて,何ができたら停戦するのか?自分たちの軍艦,戦闘機,小銃,
戦車その一つ一つが,名もなき国民一人一人の血と汗の結晶である事を忘れ,思い上がって
いた軍部の思考がよく分かりました。
日露戦争では,確か児玉大将を始め陸軍中枢は,停戦のタイミングを早くから想定し
政府と協調した上で,戦闘行動をコントロールしたと,きいています。
 先の大戦では,腐敗した政党政治家を馬鹿にして,頭の良い軍人さんが『おれに任せろ』
とばかり戦争・経済・外交を取り仕切ってみた。その結果は,花火を一発打ち上げただけで,
亡国の泥沼へ国民を引きずり込んでしまった。
 まあ,しかし軍部をおだてた国民とマスコミも馬鹿だったのでしょう。次々とテロ事件を起こし
ても,世論は犯人には軽い処罰を望んだとか。日露戦争以後,誉められすぎた軍部は本当の
馬鹿になり,国民はその報いを受けたのでしょう。 
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年7月21日に日本でレビュー済み
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客観的・論理的で冷静な記述。戦記物に有りがちな誇張や仲間褒め記述が無く、海上輸送破綻・敗戦への経緯を鋭く記録した名著。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2022年10月26日に日本でレビュー済み
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日米戦の分岐点が海戦翌年のミッドウェー海戦であるのは常識である。著者によれば、しかし、戦闘の一つ一つが戦争の行方に直結するものでない。戦闘で破れてもシーレーンが確保され、燃料・原料の供給が円滑であるならば継戦能力は維持される。戦闘に勝てないなくても生産が続けば降服しないで済む。旧日本軍の短期決戦戦略に代わる専守防衛戦略である。確かに時間稼ぎではあるが、航空戦力が劣位であればシーレーンの確保も次第に困難となり、不敗は期し難い。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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