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大人は判ってくれない/あこがれ Blu-ray

4.8 5つ星のうち4.8 20個の評価

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フォーマット モノ, ドルビー, ブラック&ホワイト
コントリビュータ アルベール・レミー, クレール・モーリエ, ジャン=ピエール・レオ, パトリック・オーフェイ, フランソワ・トリュフォー
言語 フランス語
稼働時間 1 時間 56 分

「カラオケ行こ!」Blu-ray & DVD 予約受付中
8/7発売。Amazon.co.jp限定特典はクリアしおり&ポストカード付き。現在特集ページでは岡聡実役の齋藤潤さんからのコメント動画を公開中! 特集ページをチェック

商品の説明

●2014年10月21日はフランソワ・トリュフォー監督没後30年。
●2014年10月11日より東京・有楽町にてトリュフォー映画祭開催決定。
●代表作3作品を美麗HDマスターにて初Blu-ray化!

〈女と子供と書物の作家〉トリュフォーの原点!
カンヌ国際映画祭監督賞受賞の長編デビュー作とそれに先立つ短編を1枚に収録!

「大人は判ってくれない」:両親の愛を知らずに育った12歳のアントワーヌ・ドワネル少年は、家庭でも学校でも自分の居場所を見つけることができない。
彼の行動は常に周囲と行き違い、遂には鑑別所に送られてしまう…。
トリュフォーの自伝的要素の強い長編デビュー作。

「あこがれ」:南仏の田舎町に住む少年たちは、年上の美しいお姉さんベルナデットに憧れ、彼女とその恋人をはやしたてる…。
「大人は判ってくれない」に先駆けて、みずみずしい感覚で少年たちを描いたトリュフォー初期の短編。

【キャスト】
ジャン=ピエール・レオ パトリック・オーフェイ アルベール・レミー クレール・モーリエ(「大人は判ってくれない)
ベルナデット・ラフォン ジェラール・ブラン(「あこがれ」)

【スタッフ】
監督:フランソワ・トリュフォー、脚本・台詞:フランソワトリュフォー/マルセル・ムーシー、撮影:アンリ・ドカ、音楽:ジャン・コンスタンタン(「大人はわかってくれない」)
監督・脚本:トリュフォー、原作:モーリス・ポンス、撮影:ジャン・マリージュ、音楽:モーリス・ル・ルー(「あこがれ」)

【特典】
1セルジュ・トゥビアナ(元「カイエ・デュ・シネマ」編集長)の2作品解説(4分+1分)
2出演者スクリーン・テスト(6分)
3カンヌ国際映画祭でのレオ少年(6分)
4トリュフォーの肖像(25分)
5オリジナル予告編(4分)
6R・ラシュネー(ルネのモデル)によるオーディオコメンタリー(「大人は…」)
7C・ジブレー(助監督)によるオーディオ・コメンタリー(「あこがれ」)

登録情報

  • 言語 ‏ : ‎ フランス語
  • 製品サイズ ‏ : ‎ 30 x 10 x 20 cm; 120 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988111146854
  • 監督 ‏ : ‎ フランソワ・トリュフォー
  • メディア形式 ‏ : ‎ モノ, ドルビー, ブラック&ホワイト
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 56 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2014/10/10
  • 出演 ‏ : ‎ ジャン=ピエール・レオ, パトリック・オーフェイ, アルベール・レミー, クレール・モーリエ
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語 (Mono)
  • 販売元 ‏ : ‎ KADOKAWA / 角川書店
  • ASIN ‏ : ‎ B00LUJ3BMY
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.8 5つ星のうち4.8 20個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.8つ
5つのうち4.8つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2022年10月24日に日本でレビュー済み
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描写がいい
2014年10月15日に日本でレビュー済み
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この映画は学生の頃にフィルムセンターで観たが、その時はヌーベルバーグが何なのか、その概念も解らず只管スクリーンを凝視していた。あれから30年以上経過している。多少の不安はあったが主人公が遊戯施設で旋回する辺りから鮮やかに記憶が甦った。観終わっても何ら古さを感じない。それは観る側の感性に訴えるからであり、プロットでストーリーを追うような映画ではないのだ。
弱冠27歳のトリュフォーが自分の感性を信じ、その感覚を優先して撮った映画である。ロケを中心としたリアルな子供目線で捉えた映像が瑞々しい感覚で映し撮られた日常風景に違和感なく溶け込む。それは後半になると疎外された孤独な心象風景のように映る。それまでの流れで次第に少年に感情移入する事でそのように見えてくるのだ。そんな心理的効果をもたらす演出であり単なる閃きや思いつきではない。
少年は不仲な両親から愛されてないのを自覚している。悪戯や失敗を繰り返すのは、かまってほしいが故の愛情を渇望する事への裏返しなのだ。だが両親はそんな彼を理解しようとせず厄介払いする。その理由は更生施設を巡る段階で判明する。この母親は主人公の妊娠を望んではいなかったのだ。堕ろす事まで考えていた上辺だけの母親で愛情など無い。少年院を訪れた際も養育を放棄し冷酷に突き放す。最後の最後まで母親に裏切られる心境を察するに余りある。社会から疎んじられ親からは見放され、失意のうちに自殺してもおかしくない。縋るものが無くなり人間不信となった以上、頼れるのは自分だけである。この厭世感から逃れるべく脱走を図るのは当然の帰結。
トリュフォーは柔軟な姿勢で俳優の自然な反応を引き出す事に専念し最良の場面を抽出した。それがラストである。彼は直走る。だが眼前に現れた海という演技を超越した存在に対応できず、困惑した彼は振り向いて監督の指示を仰いだのだ。監督もこの後戻りできない状況を理解した上で一定の方向性を与えたが現実が演出を上回る事態が思惑以上の効果となって、ストップモーションのラストカットとして見事に繋がった。観る側もその現実の厳しさや逃れられない運命を感じ取り、予定調和を潔しとしないヌーベルバーグの真骨頂のような結末に衝撃を受ける。

【雑感】
即興演出を前提としながらも不確定要素が整合性を保って奇跡的に収まった稀有な映画である。音楽も主人公の心情に寄り添うように響き極めて印象深い。公開されて55年経過するが未だ色褪せない。才気煥発だった27歳のトリュフォーだからこそ撮れた映画だろう。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年7月10日に日本でレビュー済み
【大人は判ってくれない】(1959年、白黒)

反抗的というよりは、無理やり「列」に並ばされたりするのが苦手なタイプだった・・・
そんな「アントワーヌの転落」はほんのちょっとした失敗から始まります。学校をサボったことへのウソの言い訳が元となり、(文字にしてしまうと何とも物々しい)「家出と窃盗」によって両親は厄介払いするように彼を少年鑑別所へと送り込んでしまう。
「海の近くだといいんですが・・・」母親はまるで臨海学校かなにかのような言い方をする、そんな少年の物語なのですが・・・「普遍的」な話にしたかった、というフランソワ・トリュフォー監督の意図は成功し、鑑賞者をそれぞれの子供時代へと誘うほどの映画となったと、リヴェットの評論にありました。・・・この映画が「悲惨」なだけのものとはならないで(それどころか)映画を観る喜びを存分にもたらしてくれる作品となったのは・・・トリュフォー監督の「映画と街と人」への愛がうんとあったこと、そして(トリュフォー監督の言うように)オーディションで出会ったジャン=ピエール・レオーの力がとても大きかったこと、など・・・いろんな要素が絡み合った奇跡のような気がします。

親友ルネとの学校サボって映画館や遊技場のシーンは、冒険物語のように楽しそうに見えます。
家出して匿ってもらうルネの部屋は、『恐るべき子供たち』(原作:ジャン・コクトー 監督:ジャン=ピエール・メルヴィル)のあの姉弟の部屋のように秘密めいて魅力的です。タイプライターを盗み捕まる顛末は、まるでヒッチコックのサスペンス映画のようでワクワクしてしまいます。こんな風に「街」のシーンは開放感あふれていますがその一方で「学校」と「家庭」は少し息苦しく、アントワーヌの心情を表わすレオーの演技がしばしば見る者の胸を突くのは確かです。

アントワーヌ少年の「目に映った」教師たちは、頑固者で融通が利かず口うるさく・・・でも、戯画的な描写はユーモラスでもありますし。
義父はジョークも「寒い」俗物に、(美脚の)母は冷たく身持ちも悪くイジワルに・・・でもアイロニーの込められたそこには、「街」を駆け抜けたアントワーヌとルネの楽しさを帳消しにしてしまうような湿度は感じられないと思います。
娼婦と一緒の護送車でアントワーヌの目に光る涙は胸に沁みます・・・けれど辛いことを映し出しならがも何かを(短絡的に)裁いたりしてはいないと思うのです。

♪ジャン・コンスタンタンの哀愁をおびた音楽をバックに、エッフェル塔を遠くに仰ぎ見てパリの街をグルグルと映し出すオープニング映像から、海岸を駆け抜けるレオーのアップの表情を鑑賞者の心の奥深くに焼き付けてしめくくるストップ・モーションのラスト・カットまで、アンリ・ドカのカメラが全てみずみずしくとらえています( 劇中、アントワーヌが両親と映画館で観るのはジャック・リヴェットの初長編『パリはわれらのもの』)。

【あこがれ】(1957年、白黒、17分の短編)

トリュフォーの最初の作品は短編『ある訪問』(1954年、撮影はジャック・リヴェット)ですが、トリュフォー自身はこれを習作とし公にはしていませんので、その三年後1957年に制作された短編『あこがれ』(「ベルナデット・ラフォン」主演)が、本格短編デビュー作品となるということです。

舞台は南仏の田舎町。
降り注ぐ木漏れ日のなか、自転車で走るベルナデットの笑顔がはじけスカートが風にひるがえる、とても美しいオープニング。
溌剌とした健康美あふれる「べルナデット・ラフォン」は当時17歳。夫であった「ジェラール・ブラン」(恋人役)とともに出演しています。

少年たちはベルナデットに興味をもち、何かといたずらをしかけ・・・やがて季節は夏から秋へと移り・・・深い意味もなく書いた落書きが彼らに苦い後悔の味を教えるラストシーンが待っています。好奇心いっぱいな少年達の性の目覚めも。

小品ながら原作小説の映画化というドラマ仕立て。後の『トリュフォーの思春期』をほうふつとさせる少年たちの自然な演技。コマ落とし、逆回転といった遊び。劇中映画館で上映されるのはジャック・リヴェットの『王手飛車取り』(!)、などなど楽しさが随所に見られるトリュフォーの原点となる作品です。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年12月23日に日本でレビュー済み
このBDは「大人は判ってくれない」とこの作品の前に撮られて同じ感覚で観ることのできる「あこがれ」のカップリング。
70年以降のトリュフォーの作品を観るといつもこれじゃない感でいっぱいになってしまうが、それは「大人は判ってくれない」の衝撃が大きすぎたからかもしれない。60年代のトリュフォーの作品はこの作品のテイストが残っているからと思うのは私だけだろうか。
それだけ、この作品は素晴らしいといって良いと思う。

「大人は判ってくれない」
ヌーヴェル・ヴァーグの代表作でフランス映画で観るべき作品にあげるならベスト10に必ず入る作品だろう。
原題は「Les 400 coups」(直訳は「400の打撃」)。これは「自堕落に生きる(Les faire quatre cents coups)」というフランスの常套句からとられており「自堕落」を意味するようだが、これを主人公の視点から「大人は判ってくれない」と題したセンスは素晴らしいと思う(主人公のアントワーヌの味わう家庭と学校での疎外感を上手く表している)。
躍動感のある子供たちの動きやどこを切り取っても絵になるシーン作りはカップリングされている「あこがれ」以上の魅力がある。撮影のアンリ・ドカが生み出すモノクロの美しさも感動ものだ。

「あこがれ」
17分の短編作。オープニングから自転車にのる美しい女性を追うように映したあとにポンデュガールの水道橋が現れ、続いて彼女を追う少年たちにカメラが移る。自転車の女性、少年たちの躍動感が素晴らしい。まるでサイレント映画を観ているような展開だが、円型競技場や自転車でのデートシーン、駅での別れのシーンは美しい絵をみるよう。
少年たちの大人の女性への「あこがれ」と嫉妬を見事に表現した作品。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年1月15日に日本でレビュー済み
「大人は判ってくれない」も傑作だが、その前にもう一つ収録された「あこがれ」のレビューをさせて頂きたい。

●あこがれ
トリュフォーが「大人は判ってくれない」で長編デビューする以前に撮られた短編。

物語は自転車を漕ぐ美しい“あこがれ”の女性に憧れる子供たちが、“あこがれ”の女性と男性が愛し合っている様子を見て“嫉妬”する様を描く他愛の無い話だ。
トリュフォーの映画にはよく子供が出てくる。

木漏れ日の中、自転車を気持ちよく漕ぐベルナデッド・ラフォンが可愛い。あのロケットおっぱ(ry

子供たちが銃で撃ち合う“ごっこ”遊びは微笑ましいけど、徴兵され本当に戦場で殺し合う人間たちを暗喩しているのだろうか。

水を撒いている人間のホースを踏むイタズラはリュミエール兄弟やチャップリン作品へのオマージュか。

テニスをする“あこがれ”たちの横でタバコを回し呑みする悪ガキたち。ボールを取りにくる“あこがれ”にちょっかいを出したりする。

子供たちの“嫉妬”はエスカレートし、“あこがれ”の女性が男性とキスしたり抱き合ったりしている茂みを発見して邪魔しようとする。男性は邪魔するが、子供たちは楽しそうだ。

そんな男性はやがて徴兵され彼女とはなればなれ。

徴兵や戦争は後の「夜霧の恋人たち」や「終電車」といった作品でも触れられている。

穏やかな日常を描いて良い作品だった。この映画の後に「アメリカの夜」や「大人は判ってくれない」といった作品を見るのが楽しいのです。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年12月5日に日本でレビュー済み
12歳の少年にとって、映画のシチュエーションは過酷だ。父親は他人だし、母親は自分を邪魔者扱いし浮気さえしている。教師は生徒たちを管理することしか考えていない。救いは、無二の親友ルネだけだ(そして、バルザックか)。しかし、だからこそアントワーヌは逞しく生きて行く。ルネのモデルとなったロベール・ラシュネーも言っていたが、それほど悪いことをしていないのに、大人は子どもの行動を理解しようともしない。彼らが犯すことといったら、せいぜい喫煙や家のお金をちょろまかしたり牛乳を盗んだり、映画のスチールを持ち去ったりすること、後は家出か、そんなことくらいなのだ。それでも、親はもう手に負えないとして警察にゆだね少年院へ送ってしまうのだ。理不尽きわまりない、不条理で成り立った社会を12歳の少年は身をもって思い知る。だから、ロベール・ラシュネーもいう如く「私は未だに大人が嫌いだ。私はとうとう大人にはならなかったのかもしれない」のだ。
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