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正法眼蔵入門 (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2014/12/25
頼住 光子
(著)
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固定化された自己を手放すとき私は悟り、世界が目覚める。それが生きてある時の経験である──。道元の文章に即し全八七巻の核心を存在・認識・言語という哲学的視点から鮮やかに読み解く。『道元』を改題。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日2014/12/25
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104044089116
- ISBN-13978-4044089115
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商品の説明
著者について
1961年、神奈川県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程修了。山口大学人文学部講師・助教授、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科准教授・教授を経て、現在、東京大学人文社会系研究科倫理学科教授。専攻は日本倫理思想史。『道元─―自己・時間・世界はどのように成立するのか』(NHK出版)、『日本の仏教思想──原文で読む仏教入門』(北樹出版)、『道元の思想―─大乗仏教の真髄を読み解く』(NHKブックス)など著書多数。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA/角川学芸出版 (2014/12/25)
- 発売日 : 2014/12/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 240ページ
- ISBN-10 : 4044089116
- ISBN-13 : 978-4044089115
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 106,938位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月9日に日本でレビュー済み
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「われ」、「非」、「無」、「縁起」など山口瑞鳳先生の語義で読んでも、かなり意味が取れた⁈
2022年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
曹洞宗。知り合いの曹洞宗の僧侶はそのまま僧兵になれそうな屈強な感じの方ばかりなんですわ。
『正法眼蔵』はさすがに自分で原典当たらないなあと思っていたので「入門」に飛びつく。
道元さんのことを全然わからないなりに読んだのだけれど、これは良書だと思う。道元さんが主語をひっくり返す読み替え、視点を変えた見方をする様は、パンケーキの裏表をフライパンで美しい動作でひっくり返しているみたいだった。仏性の辺りが非常に微妙な表現で行くしかないところなのだけど、それもこの独特の読み替え、落ち着かせない、常に中道ってことかと思う。
非常にオーソドックスな入門書になっているのだろうということは感じられる。それでいて、図解で示されるところもなるほどなのである。
坐禅の時間がさとりに通じる。全世界に通じる。無分節と分節も二項対立のようで立ち現れてくる世界。そう来るか、という感じ。にしても自己認識に関しては、西田幾多郎の絶対無を思い出さざるを得ない。そうかこういうことなのか。
自分の関心は身心脱落よりも認識を転じていくところが真宗の廻心につながるようで自分の仏教理解に広がりが得られた気がした。
おそらく道元さん全然知りません。というところからでも読める良書だと思う。南直哉さんの本はちょっとぶっとんでいるので、ちょっと落ち着いた本を読んでみるのがまさに「入門」だな、と思う。
『正法眼蔵』はさすがに自分で原典当たらないなあと思っていたので「入門」に飛びつく。
道元さんのことを全然わからないなりに読んだのだけれど、これは良書だと思う。道元さんが主語をひっくり返す読み替え、視点を変えた見方をする様は、パンケーキの裏表をフライパンで美しい動作でひっくり返しているみたいだった。仏性の辺りが非常に微妙な表現で行くしかないところなのだけど、それもこの独特の読み替え、落ち着かせない、常に中道ってことかと思う。
非常にオーソドックスな入門書になっているのだろうということは感じられる。それでいて、図解で示されるところもなるほどなのである。
坐禅の時間がさとりに通じる。全世界に通じる。無分節と分節も二項対立のようで立ち現れてくる世界。そう来るか、という感じ。にしても自己認識に関しては、西田幾多郎の絶対無を思い出さざるを得ない。そうかこういうことなのか。
自分の関心は身心脱落よりも認識を転じていくところが真宗の廻心につながるようで自分の仏教理解に広がりが得られた気がした。
おそらく道元さん全然知りません。というところからでも読める良書だと思う。南直哉さんの本はちょっとぶっとんでいるので、ちょっと落ち着いた本を読んでみるのがまさに「入門」だな、と思う。
2024年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
理論的で、比較的わかりやすい文章だと思うけど、随所で難しいかな。
2021年12月23日に日本でレビュー済み
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様々なレビューがあるが、
眼蔵を読む上で、時の捉え方が非常に重要で、そこがわからないと眼蔵が読めない。
著者が何度も眼蔵を読んだ上で、必要な部分がまとめられているように感じる。そういった意味で、眼蔵を理解する上での入門書です。
さらに、アリストテレスや一般相対性理論を合わせると、より道元の視点や世の仕組みが、わかりやすくなる。
現代語訳を読みたいだけの人にはひろさちやサンがお勧めです。眼蔵の本意とは離れる部分が多くありますが、、、表面はわかります。
眼蔵を読む上で、時の捉え方が非常に重要で、そこがわからないと眼蔵が読めない。
著者が何度も眼蔵を読んだ上で、必要な部分がまとめられているように感じる。そういった意味で、眼蔵を理解する上での入門書です。
さらに、アリストテレスや一般相対性理論を合わせると、より道元の視点や世の仕組みが、わかりやすくなる。
現代語訳を読みたいだけの人にはひろさちやサンがお勧めです。眼蔵の本意とは離れる部分が多くありますが、、、表面はわかります。
2022年3月25日に日本でレビュー済み
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入門書の中ではもっともわかりやすく、納得しやすい本だと思います。著者の頭の良さが伺えます。
2019年3月28日に日本でレビュー済み
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いくつかの道元、正法眼蔵入門本をあたったなかで、最もオーソドックスでかつ現代人の道元理解を最大公約数的にまとめているという印象をもったのが本書。個人的には南直哉のものあたりが、向かってくる敵をバッタバッタと切り倒していくような爽快感があって好きなのだが、ただ入門レベルの書という限定をもうけた場合、彼のはやはりエキセントリックすぎる。信仰のあるなしでも読み方が変わってくるのではないかと思う。その意味では学問畑の著者の手になる本書のような入門書が一般の読者言い換えれば教養として眼蔵を読んでみたいという読者の知的好奇心に最もよく答えてくれるんじゃないだろうか。時間論にかなりの紙幅を割いているのも本書の特徴。入門をうたった書でこれだけ突っ込んだ説明をしているのは稀。図解入りの説明もわかりやすい。と言いたいところですが、わかりやすいけど、やっぱりわからない。図を見て理解するのと自分自身が身をもって実感するのとは別なのだとつくづく思う。結局のところ修行もせんで正法眼蔵読もうというおのれの態度に無理があるんじゃないだろうか、という思いが読後残った。まこれは本書に対する評価とは別ですが。
2021年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
増谷文雄氏が全訳された講談社学術文庫版の正法眼蔵を読み始めたのですが、2巻で早々と訳が分からなくなり本書に救いを求めました。一読すれば、著者の頼住光子氏の事を、転校生に親切にしてくださるしっかりした学級委員のように感じれます。とても頼もしい一冊です。
私の仏教理解のバックボーンはテーラワーダ仏教です。正法眼蔵において道元禅師が折に触ればかにしておられる小乗の輩です。ですが、本書を通して窺い知る禅師の考え方は、私にとっては非常にしっくりくるものでした。例えば、なぜ正法眼蔵が難解なのかといえば、さとりが不立文字である事に起因する為との事です。物事の在りようを適正に認識する事を私はさとりだと思っているのですが、それは本来言語化して保存できないものです。竜巻のようなもので、ある条件が成立すると立ち現れ消えていくのが物事の在りようであり、刹那刹那に変化していく無常であるのだから、文字として情報として固定するとどんどん本来の在りようからずれていきます。このずれに対処すべく、禅師は正法眼蔵において物事の固定した見方を何度も相対化していきます。本来言葉にできないものを全身全霊で言語化しようとした軌跡が正法眼蔵であるとの事です。本文中に指月のたとえが出てきますが、数多おられる仏教の先達と同様、必死に我々後輩の進むべき方向を指し示してくださっていたのです。
ただし、本書を読み正法眼蔵を読んでいるだけじゃ多分さとろうにもダメなんだろうと思う点もありました。いったん本書から離れますが、ヒトの脳みそへの入力系として仏教的には眼耳鼻舌身意があります。眼からは視覚情報、耳からは聴覚情報といった具合に中枢神経に感覚情報が入力されます。文字を読んで考えた事というのはこのうちの意からの入力だと思いますが、さとりのためには入力系の間でのバランスも大事なのだと思います。意からの入力が大勢を占めすぎると、いわゆる頭でっかちで体がついていない状態になり物事の在りようをきちんと認識できません(多分)。その調整のために禅師は座禅しろとおっしゃるのだと思いますが、この調整は例えばアウトドアスポーツとか筋トレでもぼくはいいんじゃないかと思って実行しています。閑話休題。自分というものが固定して在るのでなく、さまざまな事象が絡み合って自己と呼んでいるものが刹那刹那に仮構される。ここまではわかります。ここから先の、世界全体の全存在が結びつきあっているからこそ、一人のさとりが全世界へと波及する、というのはわたしにはわかりません。おそらく座禅なりの入力系の調整がまだまだ全然足りないのだと思います。同様に修証一如(修行とさとりって同じ)もピンとこなかったです。
正法眼蔵を読んでいると、しばしば「参究すべし(よく考えろ)」というフレーズに出会います。本書で頼住氏が読み解いてくださった内容は、本来は正法眼蔵を読んでいる私が自力でたどり着かねばならないものであったのでしょう。しかし遅く生まれた人間の特権として正々堂々と先達の成果を甘受し、ショートカットして道元禅師の本質に近づこうと思います。全然関係ないですが公案をどう解釈するかっていうのは、なんだか大喜利やってるようで面白そうだなと思いました。
私の仏教理解のバックボーンはテーラワーダ仏教です。正法眼蔵において道元禅師が折に触ればかにしておられる小乗の輩です。ですが、本書を通して窺い知る禅師の考え方は、私にとっては非常にしっくりくるものでした。例えば、なぜ正法眼蔵が難解なのかといえば、さとりが不立文字である事に起因する為との事です。物事の在りようを適正に認識する事を私はさとりだと思っているのですが、それは本来言語化して保存できないものです。竜巻のようなもので、ある条件が成立すると立ち現れ消えていくのが物事の在りようであり、刹那刹那に変化していく無常であるのだから、文字として情報として固定するとどんどん本来の在りようからずれていきます。このずれに対処すべく、禅師は正法眼蔵において物事の固定した見方を何度も相対化していきます。本来言葉にできないものを全身全霊で言語化しようとした軌跡が正法眼蔵であるとの事です。本文中に指月のたとえが出てきますが、数多おられる仏教の先達と同様、必死に我々後輩の進むべき方向を指し示してくださっていたのです。
ただし、本書を読み正法眼蔵を読んでいるだけじゃ多分さとろうにもダメなんだろうと思う点もありました。いったん本書から離れますが、ヒトの脳みそへの入力系として仏教的には眼耳鼻舌身意があります。眼からは視覚情報、耳からは聴覚情報といった具合に中枢神経に感覚情報が入力されます。文字を読んで考えた事というのはこのうちの意からの入力だと思いますが、さとりのためには入力系の間でのバランスも大事なのだと思います。意からの入力が大勢を占めすぎると、いわゆる頭でっかちで体がついていない状態になり物事の在りようをきちんと認識できません(多分)。その調整のために禅師は座禅しろとおっしゃるのだと思いますが、この調整は例えばアウトドアスポーツとか筋トレでもぼくはいいんじゃないかと思って実行しています。閑話休題。自分というものが固定して在るのでなく、さまざまな事象が絡み合って自己と呼んでいるものが刹那刹那に仮構される。ここまではわかります。ここから先の、世界全体の全存在が結びつきあっているからこそ、一人のさとりが全世界へと波及する、というのはわたしにはわかりません。おそらく座禅なりの入力系の調整がまだまだ全然足りないのだと思います。同様に修証一如(修行とさとりって同じ)もピンとこなかったです。
正法眼蔵を読んでいると、しばしば「参究すべし(よく考えろ)」というフレーズに出会います。本書で頼住氏が読み解いてくださった内容は、本来は正法眼蔵を読んでいる私が自力でたどり着かねばならないものであったのでしょう。しかし遅く生まれた人間の特権として正々堂々と先達の成果を甘受し、ショートカットして道元禅師の本質に近づこうと思います。全然関係ないですが公案をどう解釈するかっていうのは、なんだか大喜利やってるようで面白そうだなと思いました。
2022年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
え!そんな風に解釈するの?
まあ、個人的な解釈として、流し読み。
まあ、個人的な解釈として、流し読み。