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正法眼蔵(一)全訳注 (講談社学術文庫) 文庫 – 2004/4/10

4.5 5つ星のうち4.5 40個の評価

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味のある名訳、懇切な注解
禅の奥義を説く待望の名著の文庫化

磨き上げられた迫力ある名文で、禅の奥義を追究した、日本仏教思想史上、屈指の名著『正法眼蔵』。浄土宗の人でありながら、弱年より道元に傾倒、繰り返し繰り返し読み込み、爾来、五十年。味ある名現代語訳、懇切丁寧でわかりやすい注解。人間の真のあり方を求め続けた著者渾身の訳業。道元の主著の真髄とは何か、その本質に肉迫する。

(学生時代、)一夏かかって一処懸命に『正法眼蔵』を読み通した。……「学道の人は先づ須(すべから)く貧なるべし」とか、……「学道の人、衣糧(えりょう)を煩ふこと莫(なか)れ」とか、「貧なるが道(どう)に親(したし)きなり」とか、そのような一連のことばの真意を、そのころなお年若かったわたしは、どうしても理解することができなかった。そのくせ、それらのことばは、ぐっとわたしの心をつかんで、どうしても放してくれないのである。――(本書「道元をみつめて」より)
新品まとめ買い 正法眼蔵
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2004/4/10)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/4/10
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 448ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061596454
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061596450
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.8 x 1.8 x 14.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 40個の評価

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道元
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上位レビュー、対象国: 日本

2021年1月19日に日本でレビュー済み
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高校の時分倫理の授業にて初めて本書を知り「いつか徹底的に向き合ってみたい」と思ってから10年以上の歳月が経ち実際に本書を手に取ってみました。一読してわかるのですが難解です。極めて優秀な人の話は一足飛びで論理が飛躍していきますが、私のような凡夫はそのステップの間を自分で埋めねば言わんとする事をかみ砕けません。この補完作業には読者自身の経験や知識の総体をもってあたるため、本書の理解は読者毎に異なるでしょうしまた一個人でも経年で異なる事でしょう。汲めども尽きせぬ泉のような著作であろうかと思います。

全訳注を手掛けられた増谷氏も同様に読んでおられた事が本書の端々から伺えます。また、章分けを禅師の制作年代順にしているのは、道元禅師の経時的内的変化を読み取ってほしいという思いからだろうと想像されます。禅師の思考を理解するにはその内容で章立てるのがいいのでしょうが、思考の変遷すなわち禅師の人間性にも魅力を感じており読者にも感じてほしいのだろうと思いました。

摩訶般若波羅蜜…「色即是空なり、空即是色なり。色即色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。」これを仮に「形あるものに実体はない」のように現代語訳するのはまずいと個人的には考えます。そのように文章を作ると翻訳側の思い入れが入ってしまうように感じるからです。事象を過大評価も過小評価もしないで認識するには本書のように原文を書き下さざるをえないと思います。また「色即色なり、空即空なり」のようなどんどん相対化する表現が本書にはよく出てきますが、これは禅師の優しさというか補足であろうと思います。どっちが上でどっちが意味として大きいかでなくそれはそのように受け取るしかないんだよと教えてくれる優しさです。

現成公案…開題で増谷氏による「さとりは、いうまでもなく直観によって成るものである(中略)直観は無為にして成るのであり、あくまでも受動性のものなのである」と踏み込んだ表現があります。そういう表現をするものなのかなと思うにとどめおこうと思います。何せ本文にある「悟に大迷なるは衆生なり」な私ですから。倫理の授業でも道元禅師のキーワードとして出てきた「身心脱落」ですが、私は自分に引き寄せて自我の解体の意ととりました。コピーをとる時に拡大も縮小もせず同じ大きさで100%でデータを吸い出すように何もかもを認識する、とにかく自分で解釈を加えない事なのかなと思いました。

一顆明珠…「身今あり、心今ありといえども、明珠なり(ここにこの身があり、ここにこの心がある。それが明珠である)」に尽きると思います。今、ここにあるという事、自我の解体、過大にも過小にも評価しないという事を前章との2章で述べていると感じました。余談ですがファットボーイスリムのright here,right nowという曲は私の仏教学習のテーマ曲です。

洗浄、袈裟功徳…前者ではトイレきれいにしろ、後者では袈裟についてのこまごまとした指示です。本書の巻頭に寄せられた増谷氏の御子息の解説では、この形式へのこだわりが若い頃は理解できなかったとあります。一読後の私にもちょっとわかりませんでした。

日常生活の行動を形式化するメリットを考えてみます。一瞬ごとに今やっていることに集中し何をやっているか気づく事が肝要です。トイレ掃除しながら臭いとかいつもより跳ねたなとか次何やるんだっけとかは今やってる事から意識が離れている状態です。また形式に戻って今やっている事に集中しなければなりません。形式化する事で一瞬ごとの全集中の助けになるのではないでしょうか。一方、デメリットとしては、細部にこだわりすぎると事象の認識がずれてしまわないかと思います。こうでなくてはならない、という姿勢で果たして物事を過大評価せず過小評価せず認識できるのでしょうか。この辺は実際にやってみないと分からないし、やり続けると考え方に変化があるかもしれません。また、形式通りにやっていればそれでいいと考える修業の落とし穴に落ちる方もおられたのではないかなと邪推します。

礼拝得髄…深く仏道を理解されているなら師が年少者でも女性でもいいはずなのに、何をプライドに邪魔されてるんだと禅師は怒っておられます。優秀な方の特性のひとつとして合理的である事があげられます。正にその目線からの批難かと思いますが、禅師が瞋にとらわれていないか心配です。

谿声山色…禅では悟道した際に偈を作ってお師匠さんにチェックしてもらう習わしとの事です。非常に示唆に富む慣習と思います。つまり、自分自身に何かモードの変化があった際にはアウトプットしなければ客観的にはチェックできないという事です。私がこのレビューを書いている理由でもあります。いくつかの悟道のエピソードが挙げられています。「私の」眼耳鼻舌身からインプットされる「私の」色声香味触、という状況から「私の」を取っ払う、すると主体と客体の断絶が無くなる、という事をおっしゃりたいのかなと思いました。後半で名利に囚われるなと再度怒っておられます。

諸悪莫作…「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」の解説です。「莫作」「奉行」とは同じ事を言っていて、禅師独自の表現で「ありのまま」という事をアウトプットされているのかなと思いました。

有時…すさまじく難解です。自我は恒常的に在るのではなく、瞬時に生成と瓦解を為していると仮定します。常ならずという意味で無常です。この無常という概念を時間にも導入しています。連続する時間というものは無いという事なのでしょうか。無常の痕跡が時間なのだと言われる方がしっくりくるのですが。

おそらく今後何度も再読すると思います。また随聞記はじめ多くの解説書を読み込むと思います。自問自答を楽しみながら禅師の思いの丈に早く達したいと考えています。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年12月25日に日本でレビュー済み
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道元の基本思想が色濃く出ています。
2019年12月17日に日本でレビュー済み
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〇 8巻まとめてコメントする。正法眼蔵は道元の論文集である。作成した年代別に並べられている。その各編には難解なものも多い。しかし全体を通読することで、道元が言わんとしていることがはっきりして来たように思う。

〇 第一、仏教の修業は、釈迦の行動を追体験することしかない。道元の言いたいことはこれに尽きるように思われる。

〇 第二、形から入ることは大切である。だから袈裟や細々とした作法を重視する。釈迦がやったようにやれということなのだろう。

〇 第三、釈迦の悟りを追体験できた時に、修行者も大悟に至る。その具体的な内容は人によって様々であろうが、ある「心持ち」「心的状態」に至った時が大悟らしい。

〇 第四、したがって修行者がかかる状態にいたったか否かは仏しかわからない。つまり、悟りは仏から仏に直接伝えられるものである(道元は正統をその師から直伝されたとの強い自負がある)。

〇 それでは、この悟りとか修業は言葉で表現できないのだろうか?道元は、言葉で表現できると信じ、言葉で伝えようとしている。それが正法眼蔵の諸編であるように思う。正法眼蔵には、悟りの境地を説く編と、修業の仕方(特に細々とした作法)を説く編とがあるが、核心に切り込むアプローチ(当然難解になる)と形から入るアプローチ(わかりやすいが核心は遠い)の二つのアプローチを採用していたということか。

○ 最後に、増谷文雄先生の懇切丁寧な訳と注に感謝したい。教えてくれるというよりは一緒に読み説くというふうで、全8巻の長丁場、温かく頼りになる同伴者であった。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年8月5日に日本でレビュー済み
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著者が僧侶であり、現代語訳と解説は最高です。道元禅師の深淵を少し覗けたような。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年11月3日に日本でレビュー済み
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禅についてどのようなことか考えるのにいいと思う。
内容が難しいところがある。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一日に一節を読むペースでゆっくりと進んでいますが、それでもその一節、一字一句に考えさせられます。
でもその考える時間がとてもありがたいと観じます。
読んでいてふと気づいたのですが、この正法眼蔵を読む前にまず「般若心経」については一通り学んでおいたほうがいいのではないかと感じました。というのは、冒頭のみならず随所にそのエッセンスが散りばめられ、般若心経への読者なりの「想い」がないと、正法眼蔵の内容を自分なりに嚙み砕くのはなかなか難しいと思いました。でも逆に、般若心経の内容を心に抱いてこの書に向かい合うと、道元のことばがまたまったく違った色彩や新鮮さをおびて心に染み込んでくるんじゃないか、そんな気がしています。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年10月27日に日本でレビュー済み
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増谷氏は、228頁から229頁の原文:

「胡漢来現の時節は、古鏡の胡漢を現来せしむるなり。胡漢倶隠ならん時節も、鏡は存取すべきと道得せるは、現にくらく、来におろそかなり。錯乱といふにおよばざるものなり。」

を以下のように現代語訳している。

「もしも、胡人・漢人が来り現われる時には、古鏡が胡人・漢人を来現せしめるのだといったり、あるいは、

胡人・漢人がともに隠れた時にも、古鏡はなお存在しているのだといったりしたのでは、まったく来も現も判ってはいないのであって、錯乱というもなお及ばざるところである。」 232頁

しかしこれは、本来は、

「胡人・漢人が来り現われる時には、古鏡が(の)胡人・漢人を来現せしめるのである。

胡人・漢人がともに隠れた時にも、古鏡はなお存在しているのだといったりしたのでは、まったく来も現も判ってはいないのであって、錯乱というもなお及ばざるところである。」

と訳すべきである。つまり、増谷訳では根底的に文意が真逆になっており、「胡漢来現の時節は、古鏡の胡漢を現来せしむるなり」という核心的な一文が否定され、後続部分との整合性を失い該当する上記の文全体が意味不明になってしまっている。

「胡漢来現」という事態あるいはそういった時間=存在(時節・有時)は「古鏡の存在」という事態(時間=存在)と実践的に一体不可分である。すなわち、「古鏡の存在」ーーそれは「古鏡」巻末に至り「古鏡(瓦)を磨くこと」という果てのない実践の力と等値されるーーと「胡漢の現来(去来)」が一体不可分な実践的時間存在であるという道元の哲学=行(実践)が雲散霧消しているのである。

それにしても、よりにもよって修証一等という道元のすべてを貫くテーマを語るおそらくは正法眼蔵における最重要箇所でなぜこのような事態が生じたのか? 今もって愕然とする。

参考までに、「古鏡」巻の結論的記述の原文と増谷氏の現代語訳を参照した上でのその試訳を下記に記す。『正法眼蔵』の学習のためには、現代語訳(可能なら棚橋一晃氏Kazuaki Tanahashiらの英訳その他の英訳を含む)を参照吟味しながら、各々が自分自身の試訳を積み重ねていくことが大切だと思われる。

原文の一部:
いまの人も、いまの塼を拈じてこころみるべし、さだめて鏡とならん。塼もし鏡とならずは、人ほとけになるべからず。塼を泥団なりとかろしめば、人も泥団なりとかろからん。人もし心あらば、塼も心あるべきなり。たれかしらん、塼来塼現の鏡子あることを。又たれかしらん、鏡来鏡現の鏡子あることを。

試訳:
(今の人も、力を尽くして今の瓦を磨いてみるといいだろう。必ずや鏡となるに違いない。もし瓦が鏡となることができないのなら、人も仏になることはできない。 瓦を泥の塊と軽んずるなら、人も泥の塊に等しきものとなるだろう。人にもし心があるならば、瓦にも心があるはずである。誰が知るだろうか、瓦が来って瓦の現われる鏡のあることを。また誰が知るだろうか、鏡が来って鏡の現れる鏡のあることを。)
――道元『正法眼蔵』「古鏡」
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2013年4月14日に日本でレビュー済み
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岩波文庫『正法眼蔵』は原文と註があるが、原文だけで読むのはとても難しい。現代語訳としては
石井恭二訳の河出文庫があるが、現在、一、二巻は絶版となっている。さて、現代語訳だけ通して
読むのがもっとも取り組みやすいだろうと、石井訳で読み始めたのだが、その後は、現代語訳を
ひとまず読み、原文を読み、註や解説を参考に原文もしくは現代語訳を読みなおす、というふうに
して少しずつ読んでいる。

現代語訳だけでは意が尽くせない部分があり、言葉の注釈を読んで少し理解が進む、というような
ことがある。したがって、原文・註・現代語訳がそろった文庫本のこのシリーズは、もっとも信頼に
足るものと感じられた。

『道元入門』や『現成公案だけを読む』、その他の入門書や解説書とあわせて読むと、理解が進む
場合がある。内山興正の解説書などもある。また、現代語訳も、可能であれば何種類か比較してみると、
解釈の違いが出てくることがあり、それを調べてみるという方法も試してみる価値があるだろう。
私は『すらすら読める正法眼蔵』『新釈正法眼蔵』、石井訳の三種をそれぞれ適宜参考にした。
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