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この部屋から東京タワーは永遠に見えない (集英社単行本) Kindle版

4.2 5つ星のうち4.2 1,494個の評価

東京に来なかったほうが幸せだった?
Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。

「3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」(「3年4組のみんなへ」より)

「『30までお互い独身だったら結婚しよw』。三田のさくら水産での何てことのない飲み会で彼が言ったその言葉は、勢いで入れたタトゥーみたいに、恥ずかしいことに今でも私の心にへばりついています。今日は、彼と、彼の奥さんと、二人の3歳の娘の新居である流山おおたかの森に向かっています。」(「30まで独身だったら結婚しよ」より)

「私、カッパ見たことあるんですよ。それも二回。本当ですよ。桃を持って橋を渡ると出るんです。地元で一回、あと麻布十番で。本当ですよ。川面から、顔をニュッと目のところまで突き出して、その目で、東京にしがみつくために嘘をつき、人を騙す私を、何も言わず、でも責めるようにじっと見るんですよ。」(「カッパを見たことがあるんです」より)

14万イイネに達したツイートの改題「3年4組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む20の「Twitter文学」を収録。

【推薦コメント】
面白すぎて嫉妬した。俺には絶対に書けない。
――新庄耕さん(作家,『狭小邸宅』『地面師たち』)
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登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B0BC98NQ1W
  • 出版社 ‏ : ‎ 集英社 (2022/9/5)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/9/5
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ファイルサイズ ‏ : ‎ 638 KB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
  • X-Ray ‏ : ‎ 有効
  • Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
  • 付箋メモ ‏ : ‎ Kindle Scribeで
  • 本の長さ ‏ : ‎ 156ページ
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 1,494個の評価

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高学歴に異常なほど敏感に反応する30歳の男女たちが、次から次へと登場する短篇小説集
5 星
高学歴に異常なほど敏感に反応する30歳の男女たちが、次から次へと登場する短篇小説集
短篇小説集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(麻布競馬場著、集英社)には、高学歴に異常なほど敏感に反応する30歳の男女たちが、次から次へと登場します。目を覆いたくなるような自虐の語りが延々と続くが、最後まで一気に読み通してしまったのは、私の胸底にも同様の感情が潜んでいるからでしょうか。「第一志望は早稲田の法学部でしたが落ちて、唯一受かった教育学部に進学しました」。「第一志望の東大は4点足りずに落ちたけど、特に悩まず滑り止めの慶應の法学部政治学科に進学しました」。「一族の期待を背負った大学受験では、無事早稲田大学に合格し、なんとなくそのまま入学した」。「結局、私はそのまま学習院に、姉は滑り止めの慶應理工に進んだ」。「(真也くんとは慶應)大学の同期で、ゼミが一緒だった」。「東大卒ゴールドマンサックス勤務の彼のせいで、(なんとなく都内の女子短大に進学した)私は切り株から動けなくなり、独身のまま30歳を迎えた」。「高校の成績は良かったから、指定校推薦で明治に入った。早稲田落ちの一般受験の連中は見下したような感じでムカついた」。「私は地元の適当な私立大に進んで、この退屈な田舎町みたいな平らな畦道をムーヴで走っていました」。「おれたち早稲田の文構で出会ったな。おれたち文構のことを『二文』って呼んでたな」。「東京の大学ばかり受けて、でも東大は落ちて、滑り止めの慶應に満足して進学」。「僕は大阪に残りました。豊中の国立大学で、迷わずお笑い研究会に入りました」。「本当は東大にチャレンジしたかったけど、浪人はできないからお茶大を受けて無事受かりました」。「地元の公立高校から、静岡市内の偏差値55くらいの国立大へ」。「最終的に、早稲田法は落ちたが、受かった中央法と慶應経済で悩んで、後者に進学した」。「塾なんかにも通わせてくれて、無事に第一志望の慶應に合格しました」。「地元の県立大学を出て東京の会社に就職した。正確には横浜の土木系の会社」。「高校を卒業したら、適当に理由をつけて、逃げるように東京に出てきました。東京なら、学も技能もない私にも仕事が見つかると思ったし・・・」。後味はともかく、面白い本であることは請け合います。
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年4月2日に日本でレビュー済み
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読了後、少し心が晴れた気がした、でも、それも錯覚で、また同じ日々を走り出す。正解のない答えを探す
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年8月22日に日本でレビュー済み
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グラニフとかグリーンレーベルとか言われた時は胸にぐさっときた。こういう人いるよねみたいなのを描くのはうまい。
全体的に面白いんだけど、短いのもあって心に深く響かなかった。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年11月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三十代にグサッと刺さる固有名詞の数々…ポムポムプリンにアモスタイル笑

思わずクスッと笑ってしまう文章の作り方がほんとにうまい。

面白いけど値段は1000円弱くらいが妥当かなぁ〜という気がしないでもない。期間限定セールで安く買えたのでそこは満足です。

いやー笑っちゃう。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
地方出身で現東京暮らし学生時代は東麻布に住んだことがある身なので、やたら生々しくて面白かった笑
2022年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
先生、お久しぶりです。
今から10年以上前ですが、先生が昔担当した、とある高校の3年4組のクラスにいた者です。
僕は目立つ生徒ではなく、かといって何か問題を起こすわけでもない、何の特徴もない生徒だったから、多分先生は僕のことを覚えていないと思います。

卒業式の日、生生が長いスピーチをしてましたよね。今でもよく覚えています。

あのお話を聞いたとき、多分、ほとんどのクラスメイトは

「なんか説教くさい話が始まったぞ」
「先生いつもあんなに饒舌じゃないのにどうしたんだろう」
「俺は先生みたいにはならないけどな」
「教師って、卒業式の日に勝手に感極まって語り出すよね笑」

と感じていたのではと思います。

あるいは、つい真剣に聞き入ってしまった人や、先生のお話から何かを受け取った人も結構いたんじゃないかとも思います。
先生は、一部の人を惹きつける不思議な魅力のある人だったから。

ちなみに僕はそのどちらでもありませんでした。
先生の話を、ただ「先生の話」として聞いて「人生でいかにもあり得そうな話だな」と感じていました。
別に自分が他のクラスメイトと違って達観していたとかそんなんじゃないです。
ただそう感じたという話です。

覚えていないと思いますが、春先頃、中間テストの勉強道具を持ち帰るのを忘れた僕が
放課後教室に戻ったとき、教室で片付けをしていた先生とばったり出くわしたことがあります。

その時、まだクラスを受け持ったばかりでどの生徒がどんな生徒なのかわからなかった先生は
ちょっとした雑談をしたあと、僕に「君はクラスで誰と一番仲良いの?まだよくわからなくてさ」と聞きましたよね。
僕はその質問にA君だと答えましたがあれは嘘です。僕には友達は1人もいませんでした。

僕はもともと岡山出身ではなく中学2年生のときに岡山に引っ越してきました。
その前いた中学校でいじめの濡れ衣を着せられたことがありました。
担任やクラスメイトはもちろん、親からも信じてもらえませんでした。
自己主張が苦手だったので、まわりの大人たちの詰問に反論することもできず、
いじめたのかという質問に頷いてしまったのです。

今思えば、当時の担任の先生も、これでスケープゴートができたので一件落着、と考えていたのだと思いますが
当時中学生で人生経験もない僕にはそんなこと推測することもできず、
なぜみんな信じてくれないんだろう、とだけ思っていました。

僕の様子がおかしいことに気づいていたのは一昨年亡くなった父方の祖父でした。
祖父は岡山に住んでおり、おそらく僕の両親からいじめの話を聞いた祖父は僕の話に辻褄が合っていないことに気づいたのではないかと思います。
その後、僕は祖父の配慮で岡山に引っ越すことになり、先生のクラスに入ることになりました。

その頃から僕は何かに、あるいは誰かに期待しない、何も信用しないことが人生を生きる上で安全な道だと考えるようになりました。

他人のことを理解することなんてできませんが、
当時の先生の体験談も、僕にとってはある種「何かに期待した結果」のように聞こえたのです。
先生の場合は「東京」がその「何か」だったのかな。
だから「人生においていかにもあり得そうな話だ」と感じたのです。
僕にできることは、先生のお話も大切なケーススタディとして「何も期待しない、何も信用しない」生き方に磨きをかけることだけでした。

僕は高校を卒業したあと、先生と同じ早稲田大学に入りました。
覚えていないと思いますが僕は成績は中くらいで現役で早稲田に入れるレベルではなかったです。
祖父の情けで1年浪人させてもらえることになり、1日10時間は勉強していました。
もちろん友達はいなかったので遊びの誘惑もありませんでした。

思えば、明らかにクラスで浮いていたのに僕のことをいじめたりせず、完全に空気として、いないものとして扱ってくれた3年4組のクラスメイトにはとても感謝しています。
駅前の東進で元3年4組のクラスメイトも見かけましたが、誰も僕に話しかける人はいませんでした。

幸い僕はいつだったか先生がなにかのときに言っていた「努力することに逃げる」のが得意だったので、勉強してなんとか文構に入ることができました。
なんといっても、「何も期待しない、何も信用しない」を徹底するためには1人で生きていけるようにならないといけませんから、そのためには学歴も必要に思えたのです。
でも1日10時間も勉強しても政経や法ではなく、文構しか受からなかったあたりがいかにも僕らしいというか分相応ですよね。

大学では、サークルなどには入りませんでした。新歓なんかもいくつか行ってみたのですが。
僕みたいな人間がサークルのようなコミュニティに入ると浮くに決まっていますから。
代わりにマッチングアプリにはまるようになりました。僕みたいな人間には希薄な人間関係の方が合っていました。
もちろん大学には友達はいませんでした。

就職活動ではとにかく嘘のストーリーを完璧に作り上げました。
僕は自分のことも信用していないし期待もしていないので、就職活動でまともな内定を取れることなんて初めから期待していませんでした。
だから、ボランティアだの学生コンペだのをやっていた知人から少し話を聞いて、
そのエピソードを自分の体験ということにして嘘がバレないように細部までストーリーを考えて面接に臨みました。
結果、ある中堅メーカーから内定をもらうことができました。
大手ではなく中堅メーカー内定というあたりが、やはりいかにも僕らしいというか分相応です。

メーカーでは柄にもないのに営業部門に配属されて、
僻地にある工場に併設された営業所勤務となりました。所長含めて5人しかいない職場でした。

連日、先輩と上司に飲みに連れていかれ、夜の21時頃までは永遠と仕事と関係のないことで人格否定され続け、2次会は地元のキャバクラ、その後は風俗というのが決まったコースでした。
僕がお金を建て替えるのですが、そのお金を返してもらえないこともありました。

メーカー勤務で僻地配属。

当時先生がお話されていた境遇と似ていました。
でも僕が先生と違ったのは、リーガルの革靴に嘔吐はしなかったというところです。
なぜだと思いますか?
「何にも期待や信用」していないからです。

キラキラした仕事ライフなんて初めから1ミリも期待していない、
恵まれた職場環境なわけがない、
自分に仕事ができるわけがない、
自分のことを好く人間などいるわけがない、
と初めから思っていたので、その営業所での地獄のような生活ですらも
辛いですが、僕の価値観を何かひっくり返すような出来事ではありませんでした。

仕事では担当客先の購買担当者から嫌味を言われ納期短縮のため工場の生産ラインに頭を下げる毎日でしたが、
3年ほど前、MRの営業職へ転職しました。
メーカー勤務時代よりは個人プレーが許される職場で、5人しかいない営業所時代よりはいくらかマシです。

僕は今年で30歳になります。あのとき先生の年齢と同じです。
何にも期待しない、誰も信用しない生き方をしている僕のことを信用する人間など当然居るわけもなく、
友達も恋人もいないまま30歳になりました。
当然です。僕自身も僕みたいな人間とはプライベートでは関わりたくないですから。

毎日仕事が終わると深夜の2時頃までひとり酒をして翌朝重い身体を引きずりながら仕事に向かう生活を送っています。

ps. 先生は今でも岡山にお住まいですか?新しいイオンモールができたと聞きました。
123人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2022年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
先生、大変ご無沙汰しています。お子さんと旦那様との幸せな結婚生活は如何でしょうか。大変華麗で天真爛漫で、少しエロティックな先生ですから、きっと、とても順調なことと思います。

マンツーマンでの英会話と受験英語を教わってから、もう10年近く経つのですね。

当時の僕は先生のおかげで、精神的な充足と人生の歩み方についても一つのモデルを学ぶことができましたが、今でもその日々を懐かしく思います。

少しだけ長くなってしまいますが、この10年の僕の歩みと葛藤、東京での日々を綴らせてください。
当時先生には、「世界的に有名な外資系企業や総合商社で働いて、英語を存分に活用して著名なビジネスマンになりたい」という、
壮大な夢と目標を語った僕ですが、それは単なる田舎のちょっと勉強が出来た小僧の戯言だったと思い知ったのです。

大都市圏と勘違いされる、でも閉鎖的な田舎の港町に育ち、紅蓮隊や半グレ気取りの輩が闊歩し、巷の噂ではシンナーやマリファナに溺れた同世代がいる、パチンコ屋とサラ金、寂れた土産物屋、ブラックな食品工場。
その程度しかまともな産業はない、かつての栄光の面影はとうに消え失せた街で僕は育ちました。

幼き頃から身体だけは大きく、目立つ存在でしたが、同世代と仲良くなるのがとても苦手で、幼稚園や小学校では幾度も不登校になったりもしました。引っ込み思案で、どうやって友達の輪に入っていけば良いかもわからず、孤独で一人遊びを続ける、そんな子供でした。
親が時折買い与えてくれる、歴史の本や兄が飽きたゲームをトレンドが過ぎてから、一人きりで熱中する、今思えば悲しく寂しい日々を送っていました。
両親に好かれる子供ではなかったので、祖父だけが僕の当時の数少ない味方で、色々な場所に二人乗りのチャリンコの後部座席に乗って、連れて行ってもらったことを思い出します。
あ、そうだ、遊戯王とかカードゲームのおねだりをする時はいつも祖父を頼っていました。
両親には到底言えなかったので、こっそりと。でも、その祖父はもうこの世にはいません。
今生の別れでした。

僕の人生が少しだけ色づきはじめたのは小学校中学年になってからです。
強制的に加入させられる色々な部活動。田舎恒例の強制加入です。
陸上にバスケに体操に野球に駅伝に、なんでもやらされました。
理不尽な教師たち、過去の栄光を振りかざすOB、外部指導者、たくさんの大人から叱責されるようになりました。
何度逃げてやろうか、サボってやろうか、辞めてやろうかと考えたかはわかりません。
でも不思議とやめなかったのは、孤独だった自分に一つの居場所ができたような気がしたからだと思います。
あとは頑張れば頑張った分だけ、成績が伸びたり、周りから褒められたりするのが楽しかったのかも知れません。
最終的には、野球をやることになり、小学生、中学生と一応続けました。
一時期はプロになれるんじゃないか、そんな妄想を抱いていた時期もありましたが、大きな故障でそれも夢まぼろしになりました。
高校に入っても続けましたが、ずっと治療の日々でした。肩や腰、肘、股関節、全部がボロボロで、もうハードな練習に耐えられる身体ではなくなっていたんですね。
自分は甲子園を目指すメンバー達を、ベンチやスタンドから応援して、一緒に涙を流すなんて、青春のドラマを味わえるほど純粋ではなかったので、途中でキッパリと退部しました。
ああ、もう怪我の治療や痛み、焦燥感で苦しまなくていいんだと思えた時、人知れず大粒の涙がこぼれて泣き通しました。僕の一つの人生はそこで終わりを迎えたのです。
部活を辞めると高校生なんてのは暇でしかないので、当時流行ったmixiやキャリアメール、LINEを駆使して、色んな女の子と繋がって、セフレみたいになる、でも恋愛はしない、そんな空虚な日々を送っていました。学校の屋上でセックスしたことも何回かあります。

先生と出会ったのはそんな暗い時期でしたね。
なんにも目標が持てなくて、ぷらぷらして、適当な地元の会社に就職でもしようかとぼんやり考えていたときの偶然の出会いでした。
親からふと渡された一枚のチラシにあった、生徒募集の内容を見て、暇だし英語ぐらいやっとくか、そんなノリでした。
先生に初めて出会った時、正直身体に電流が走るぐらい、胸が高鳴って、ああこれが一目惚れってやつかなと思いました。
歳で言えば8個ぐらい離れていたのにね。ませたガキだったなと苦笑します。

マンツーマンの授業は先生の実家と、小さなマンションの一室で交互にやりましたね。
毎回長い時間ではなかったし、授業のレベルも別に高くはなくて、むしろ適当。
でも、当時の僕には先生と会える時間が、数少ない楽しみで一息つける貴重なタイミングだったんです。
クラスでは浮いていたし、一部の友人を除いて誰とも話していなかった。とにかくブスで性格の悪い、同期女が嫌で嫌でたまらなかったんですよね。

そんな暗黒時代に先生と出会えて、何か一つ大きな恩返しをしたいなと思えたんです。
それが底辺高からの早慶への受験合格でした。
数学も理科も好きじゃないし、学ぶ意味がわからなかったから、最初から私文一本で決めてましたね。

目標ができた僕は、それまでの人生では考えられないほど真面目に、愚直に参考書に向かっていたのを思い出します。
自分にこんな忍耐や知識欲があったんだなと、驚くぐらいでした。
大学受験特有のストレスで何度も胃痛になったり、吐きそうになったり苦しかった姿は先生には見せていません。

先生もご存知の通り、僕はMARCHの一角に滑り込み進学しました。
結局第一志望に受かれないところも、自分の人生を暗示していたのかもしれません。

めでたく上京してからは本当にいろんなことをやりました。
光通信のブラック営業やアダルトサイトのネズミ講、個人家庭教師、歌舞伎町のバーの貸し手、底辺みたいな個人宅へのピンポン営業。数えればキリがありません。
水商売にも何回か手を出しましたね。
バーの店員、キャバクラのボーイ、ホストの体入。
とにかく女性と煙草とお酒に溺れた4年間で、誇れる大学生活ではありませんでした。
シーバスリーガル18年とガラムの香りに虜になり、なんと自分は意志の弱い人間なのかと自暴自棄になったことも少なくありません。
関東連合の名残が残る、村のような地域の狭く暗いワンルームマンションに行きずりの女性を連れ込むことに酔っていたのです。
大志を抱いていた僕はどこかの彼方に消え去っていました。
そんな生活を続けながらも就活をしました。
多分1年間ぐらいやって、100社近い会社を受けたと思います。
自己意識と妄想で肥大化した僕は、総合商社、外資系コンサル、投資銀行など学生の憧れの業界はすべて受けました。
電通の鬼十則に何故か感動を受けて、広告マンも良いかなとか思う自分もいました。

僕はきっと社会に名を轟かせるイケてるビジネスマンになれるといつしか錯覚していたのかもしれません。

結局、すべて落ちたことで自分の限界はこんなものかなと、ここでも見切りをつけられました。

最終的には、辺境の地にあるレガシーなパソコンメーカーになんとなく入ることになったのも、一つの運命かと悟りました。

胡散臭いベンチャーや、悪徳不動産屋に入るよりは幾分かマシな人生になるだろうと下手な計算までしていたのです。

いざ入ってみると、社内に満ちた鬱屈とした雰囲気と綺麗な社屋にアンビバレントさを感じつつ、おじさん営業達の集団に無造作に投げ込まれたことで僕自身を虚無感が包み込みました。

黒光りしたサイコパスなマネージャー、陰険なメンター、酒とゴルフとおべっかしか武器の無い担当役員達。
人事担当者に力説されたグローバル感や働きやすさは全くの虚構でした。
メンター自らのミスを新卒である自分に全て被せられた時、心の中で何かが崩壊する音が聞こえた気がしました。
翌日僕は社内診療医の元に駆け込み、休職申請を出し、逃げるように会社を去りました。
ああ人はかくも脆く、簡単に折れるのだと身を持って体験したのです。

それからなんとか社会復帰をして、いまでは中小零細のIT企業で自分の立場もよくわからないままに、苦悩し続けています。

正直、社会には何の価値も提供していない虚業のような仕事で、いつ無くなっても良いとさえ考えています。きっと世の中の仕事なんてそんなもので溢れてるのではないでしょうか。

いま僕は古ぼけたレトロなマンションの一室でこの文章を書いています。
他人に自信を持って自慢出来るような晴海のタワマンや燦然と輝く東京タワーが美しく見える麻布十番のマンションではありません。華やかは皆無です。

ただ、東京で生きることの刺激や苦しさ、葛藤、挫折感を痛いほど味わった僕にとってのある意味でお似合いの部屋だなと思います。

先生と出会ったあの時の純粋さやときめきの感情をもう一度思い出すことはきっと出来ないのかもしれません。

東京で身に付いたのは、社会的な仮面をつける事や自分の限界を見極める能力、そして女性を少しだけ魅了する甘い言葉のかけ方とか、そんなところでしょうか。

馬鹿らしくて笑ってしまいますね。

きっと今の僕なら、先生と向き合って直視しながら本心を伝えられるような気がしています。
いつかそんな日が来ることを、心の片隅に留めて。

もう少しだけこの東京砂漠で、僕なりにシニカルにマイペースに日々悩み、生きてみようと思います。

先生、お元気で。
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2023年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生まれも育ちも東京かつ高学歴の知り合いが読んでいたこの本の題名が気になり私も読んでみました。
私は地方出身で大学進学を機に東京に来ました。読んでいる最中にその知り合いがどんなことを考えながら読んだのだろうと考えました。背筋が伸びる気がしました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2024年4月28日に日本でレビュー済み
全部を読んでいないが、令和の時代の職場の風景、心象などを簡潔に詩的に描いている。しかし乾いた冷酷な筆致から読後、名状し難い感傷、ふしぎな喪失感の読後感がある。

田中康夫の『なんとなくクリスタル』と比較されるかもしれない。昭和と令和の時代の差、豊かさを内包した昭和の心象風景から、令和の不安、先がみえない絶望感のZ世代の心象描いているようだ。

地方出身者の孤独感はリアルである。

本作品での感想を知人、友人と交換してみるのも面白い。

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