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暇と退屈の倫理学 単行本(ソフトカバー) – 2011/10/18

4.1 5つ星のうち4.1 79個の評価

【朝日新聞やニューヨークタイムズのインタビューで注目を浴びる気鋭のスピノザ研究者が、「3.11以降の生き方」を問う。は
つ剌と、明るく、根拠をもって「よりよい社会」を目指す論客のデビュー。

何をしてもいいのに、何もすることがない。だから、没頭したい、打ち込みたい……。でも、ほんとうに大切なのは、自分らし
く、自分だけの生き方のルールを見つけること。

■すごい思想書
「読み進めるうちに、あぁ、こんなところに生きる意味があったのかと、一度人生をリセットしたような、そういう気分にさせてく
れる本です。震災以降の現在ならなおさらです。[…]ありとあらゆる意味や関係にこんがらがってるであろう現実を一旦均
してしまうような、まさにリセットするような実に晴々として爽快な内容」――鈴木成一氏(マトグロッソ「鈴木成一 装丁
を語る。」#36より)。

※ブログにて、「序章」を読むことができます。ぜひ「朝日出版社第二編集部ブログ」で検索してみてください。

[序章「好きなこと」とは何か?より抜粋]
資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その
暇をどう使ってよいのか分からない。[…] 我々は暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか。
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商品の説明

著者について

國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
一九七四年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『スピノ ザの方法』(みすず書房)、訳書に、デリダ『マルクスと息子たち』 (岩波書店)、コールブルック『ジル・ドゥルーズ』(青土社)、ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、共訳として、デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(岩波書店)、フーコー『フーコー・コレクション4』(ちくま学芸文庫)、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)がある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 朝日出版社 (2011/10/18)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2011/10/18
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 402ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 425500613X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4255006130
  • 寸法 ‏ : ‎ 12.9 x 2.8 x 18.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 79個の評価

著者について

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國分 功一郎
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「悪魔とのおしゃべり」「宇宙のカケラ」の両著から物理と宗教の重なりを学んだ後に本書を読んだ感想を述べたい。太古の人間は五感をフルに発揮して生きていたが、豊かになるにつれ能力を持て余すようになったから退屈を感じる。退屈を紛らわす為にウサギ狩りに行こうとする人にウサギを差し出すと「そういう事じゃないんだよなー」となっちゃう。それは分かる。一方、物理と宗教は「今」をどう捉えるかがポイントと言う。禅、マインドフルネスを語る藤田一照さんは禅は帝が神と民の声に耳を傾ける為に行った儀式(禅を譲る禅譲=帝位継承)といい、禅はすなわち「今」に集中する事だと。
マズローは5段欲求(最上位は自己実現)を提唱した後に研究を続け6段目の提唱(自己超越)へと至った。
退屈だと感じてしまうのか、今に集中して生きられるのか、自分は退屈でも集中でもなくとにかく雑念にまみれている。
頑張れば報われると信じて頑張ってきたとも言えるが、頑張らずに報われたらきっとびっくりしてしまう。それは頑張る事が目的になっているからだろう。頑張って集中してる時は雑念から逃れられるから。
雑念にまみれていて、そこはかとない不安をいつも感じてる人、かつ理屈っぽい人こそ読んでもらえると楽しめる本なのではないかと感じた。
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あっという間に、読み終えた。
息つく暇もなかった、といっても過言ではない。

これほどまでに読ませる書との出会いには、大いに幸福を感じる。
著者が論じるように、読むプロセスこそが、読まれる書が主張する結論の身体的な実践なのであろう。

暇と退屈を入口に、人間とは何か、と深く問うている。
人間は退屈する動物である、といえるだろうか。

ハイデガーの退屈論を取り上げ、詳細に論じていることには、注目したい。
ユクスキュルの環世界論を批判するハイデガーに対する、批判的検討は、魅力的だとも感じる。

しかし、ハイデガーが論じる決断については、著者とは異なる解釈もできそうである。
複数の環世界を移動すること、あるいは新たな環世界を形成するためにこそ必要とする、越境的な決断もあるのではないか。

狂気の決断ばかりでは、ない。
退屈から退屈への移行を可能にする、豊穣で贅沢な学びへの決断のように思える。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
國分功一郎は1974年生まれの日本の哲学者である。本書は東日本大震災の記憶も新しい時期に出版され、哲学書としては異例のベストセラーとなった。

本書は「暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか」という「倫理学」的な問いに貫かれており、その答えを得るために様々なやり方で「暇と退屈」を論じていく構成になっている(目次を見れば分かるように)。そのなかから、デザインを考えるうえで特に興味深い部分を、以下に紹介する。

まず著者は現代消費社会の在り方を批判する。消費の欲望を喚起するためだけに些細なモデルチェンジを繰り返すポスト・フォーディズム的な生産体制は、非正規雇用を必要とする。退屈からの気晴らしのためにニューモデルを購入する我々の消費スタイルは、労働者としての我々自身の首を締めているのだという。

また、消費行動において人は商品を「物そのもの」として受け取らず、欲望の対象である「記号」として受け取っている。だから消費は際限なく延々と続いてしまうし、モデルチェンジという「差異の記号」が欲望されてしまうのである。ならば「物そのもの」を受け取れるようになるしかない。そのためには「楽しむための訓練」が必要だという。言い換えれば「物を次々と買い替えなくても豊かであれる自分を手に入れろ」ということになるだろう。そのためには、学習によって自分の「環世界」を変えなければならない。

「環世界」とはユクスキュルの概念であり、「すべての生物は別々の時間と空間を生きている」「我々は別々の世界を生きている」という世界観において、その「世界」を指す言葉である。個々の「環世界」は、その生物あるいは人間が、どのような情報を受け取るのかによって決まってくる。例えば、音楽を勉強した人と、そうでない人とでは、同じ音楽を聴いても受け取る情報が違ってくる。この例でいくと、「聴き継がれる名曲」と「短期的に消費されるタイアップ曲」が、「物そのもの」と「モデルチェンジ消費」に対比されるだろう。音楽そのものを楽しめるようになれば、次々と新しい曲を消費する必要はなくなるというわけだ。

以上の議論をまとめると、人間は学習によって自らの環世界を変えることができ、そうすれば「物そのもの」をもっと豊かに受け取ることができるようになり、それによってモデルチェンジによる「差異の記号」を欲望しなくて済むようになり、人を使い捨てるようなポスト・フォーディズム的生産体制から脱却できる、ということになる。

“消費社会はしばしば物があふれる社会であると言われる。物が過剰である、と。しかしこれはまったくのまちがいである。サーリンズを援用しつつボードリヤールも言っているように、現代の消費社会を特徴づけるのは物の過剰ではなくて稀少性である。消費社会では、物がありすぎるのではなくて、物がなさすぎるのだ。” (P.150)

デザイナーの職業倫理の観点からは、モデルチェンジによって消費者の欲望を喚起する「資本主義への奉仕者」から、「ロングライフ&エコロジカル志向のデザイナー」になるためには、ユーザーへの啓蒙・教育も重要だ、ということになるだろう。その主張には柳宗理、原研哉、クリッペンドルフに通じるところがある。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 始めに私の評価が低いことの言い訳をしておくと、この直前に読んだ本が悪かった。コリン・ウィルソンの『宗教とアウトサイダー』とセネカの『生の短さについて 他二篇』。どちらも退屈を扱った名著で、確固たる信念と明確な処方箋を持った博識の著者が情熱を込めて読者へ熱く語り掛ける本なのだが、これらの本がページを超えて吹き掛けて来る熱気に当てられてしまうと、本書は如何にも気が抜けて、薄味で、ディレッタントが片手間に思想を弄くり回した作品の様に見えてしまう。なので以下の辛口は少し割り引いて読んで頂きたい。

 大体どうでも良い様な「まえがき」から私には合わない予感がしていた。一人称が「俺」? 歌舞伎町をフランス人の友人と歩いていてバーに入ったらおっさんがテレビのサッカーに熱中してしますアピールをしていた? 駄目だこりゃ、と思いつつも読み進めたがやっぱり駄目だった。そもそもこの手の本を手に取る人はどう云う人だろう? 自らも暇と退屈について疑問や問題を抱えていて、それをどうにかしたい、どう考えたら良いか分からないからこうしたタイトルに惹かれるのではないだろうか? その意味で言えば、この手の本の著者として必要なのは、多少強引で大袈裟でも「退屈は人生の一大事! 文明の癌!」と思い込むだけの切実な実存的欲求を抱えていることであって、何よりその思想を本気で生き切る真剣さだ。残念だが本書からは余りその様な切迫した感じは伝わって来ない。「退屈はテロを生むかも知れない」と云う指摘を紹介してこれは大事だと言っておき乍ら、「自分も状況が違えばテロリストに成っているかも知れない」と告白するだけの想像力に欠けている。その意味で本書は実に肩透かしで物足りない。少なくとも、他にもっと刺激的な本が存在することを知ってしまっている読者にとっては。

 本書では暇とは何なのか、人間は何故退屈を感じるのか、と云うテーマについてあれこれ論じているのだが、各論の扱いも何やら行き当たりばったりで、取り敢えず思い付いたものを色々放り込んでみた、と云う印象が拭えない。人類の退屈の起源を定住革命に求めると云うところまで風呂敷を広げておき乍ら、何故かその割に進化心理学の話も脳科学の話も全然出て来ない。ユクスキュルの環世界論を紹介しておき乍ら、最近の比較行動学の成果には全く無関心。映画は一本だけ取り上げられているが、詩や小説は皆無。ヴェブレンやマルクスやガルブレイスを援用してはいるが、歴史や経済の話はそれっぽっちで打ち切り。所謂思想や哲学の方面が充実しているのかとも思ったが、これも何故か出て来る人物は近代以降の数人のビッグネームだけで(暇の使い方が立派な哲学的テーマであった古代ギリシャやローマとか面白いネタがごろごろしていると思うのだけれど)、挙げ句は延々3章を費やしてハイデガーの退屈論を持ち上げて締める始末(この手の話題する人に何故か好きな人が多い、ハイデガー)。どうにもつまみ食い的な印象が先立ってしまって、軽めに読み流すエッセイとしてはそれなりに面白いのだろうが、もっと重厚で読み応えの有る本は他にも幾らも在る。

 同じく退屈を扱い乍ら結局トホホな小市民的ヴィジョンしか打ち出せなかったスヴェンセンの『退屈の小さな哲学』は、あれはあれで読書案内としての楽しさは有ったのだが、本書には参考文献表が無いのでそちらの魅力も無い。巻末の注は辞書みたいに横書きに組まれていて読み難い。

 結論部分は大したことは言っていないことを「あとがき」で著者自身が認めているのだが、大事なのはここまで本書を読むことで読者が新しい認識を獲得したことである、と述べている。結論は重要ではない、大事なのは読書体験と云う過程である、と云うことか(本書で明確に「倫理」的話題を扱っていると呼べるのはこの箇所のみである)。まぁそれはそれでひとつの見識ではあるし、それ自体は私も決して認めるに吝かではない。但しではその場合に残る評価基準は、著者の姿勢が読者のそれに合ったか合わなかったか、読者の成長を促したかどうか、単純な波長の問題と云うことに成る。私には残念だが合わなかった。コリン・ウィルソン的な表現をするなら、著者の視点は徹頭徹尾「インサイダー」的であって、「アウトサイダー」的な視野の広がりが見られない。そこが私にはどうしても退屈に感じられ、一番の不満だった訳だ。尤も、世の中にはそうした種類の有り触れた退屈さにこそ興味を惹かれる、と云う読者も相当数存在するだろうから、そう云う人達であれば本書を読んで楽しい一時を過ごすことも可能かも知れない。
49人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年7月21日に日本でレビュー済み
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まあなんともタイトルが・・・
フランスで哲学を研究した著者、なんとも、現代社会においていいじゃないかと思った。
東京の大学に身を置きながら、たまにテレビの情報番組等でコメントしているのをみて、なかなか面白いと感じる。
今後も注目してみたい。この本も注目集めただけあり、内容も興味深いものだった。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年6月2日に日本でレビュー済み
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前半は面白くて読み込めたが、中盤から途端に難しくなって読むのを諦めてしまった。

ある程度、有名ドコロの哲学入門書をあれこれ読んでないと、途中で出てくる引用の度に止まってしまうのではないだろうか。

分厚いし、読むのはタイヘン
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年4月5日に日本でレビュー済み
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古来より人間は退屈に耐えられない存在であった。それは残念ながら人間の限界かもしれない。

そうやって世の中を見てみると、暇と退屈から逃げようと盲目に走り出すから人生の落とし穴に気づけない

私たちの生活習慣が反省される。

 暇になりたくないから……
ワーカホリックになる。
買い物や消費に人生を捧げてしまう。
過激な差別発言をしてしまう。

とにかく、暇で退屈でなければなんでもいい!……と思ってしまったその時、

麻薬や覚醒剤のような「熱中」を追い求める。熱中していれば退屈から逃げられるから。

でも、それって幸福なのか?

倫理学とは「いかに人生を生きるか」の体系である。この本でそれを考えてみませんか。

【本書内で主に引用される研究者】
・ラッセル ・ガルブレイス ・ウィリアムモリス ・パスカル ・スヴェンセン ・ヴェブレン 
・マルクス ・ハンナアレント ・ユクスキュル ・ハイデッガー
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年4月21日に日本でレビュー済み
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新型ウイルスの影響で暇な時間が増えたので、読書でもしようと思い購入。読んでみた結果としては様々な哲学者を引用(ハイデガーがメイン)されており、独特の言い回しでなかなか面白かった。この自粛期間中に暇でやることがないならまず思考することから始めたいと思うようになった
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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