マーシャル・マクルーハン「人間拡張の原理」を読みました・
もう50年も前の私が高校3年生だった時、クラスで突然、マクルーハンが流行りました。
クラスメートの喜多真一くんが竹村健一「マクルーハンの世界」という本を持ってきたのです。
そこに書かれている「メディアはメッセージ」「ホットメディアとクールメディア」などという蠱惑的なキャッチフレーズが何とも新鮮でシビレました。
竹村健一さんは、その後、時事問題解説者としてテレビで有名になりました。
以来、マクルーハンは、ずっと気になっていましたが、今回、代表的なこの著作を読んで長年の心のモヤモヤが晴れました。
見事なメディア論で、様々なメディアの特徴、影響、将来について深い洞察力で考察されています。
内容は一向に古びておらず、今日のインターネット社会到来の預言書になっていて驚かされます。
コンピューターが出始めた時代に、早くも「いづれ意識を持つコンピューター」の出現を予測しています。
AI(人工頭脳)のことで、その先見性には驚愕します。
タイトルの「人間拡張の原理」は、人間の五感はその能力を時代とともに拡張し続けているという意味です。
例えば、裸眼では見えない月の表面のクレーターも天体望遠鏡では見えますし、微小な細菌は顕微鏡で見ることができます。
一言で言えばマクルーハンの「メディア即メッセージ理論」は文明史的考察でメディアの歴史的文明的な変遷、影響、変化について書かれています。
メディアは「情報(コンテンツ)を伝え広げる方法・手段」ですが、マクルーハンはメディアは情報の中身より重要だと主張します。
テレビゲームでどのようなゲームをするのかよりもテレビゲーム機のもつ個人的、政治的、経済的、美的、心理的、道徳的、倫理的な影響を考えるべきだということです。
取り上げられるメディアは多岐に渡ります。
貨幣、印刷、マンガ、車輪、自転車、自動車、写真、広告、ゲーム、電信、タイプライター、電話、蓄音機、映画、ラジオ、新聞、雑誌、テレビ、それに武器です。
それぞれ豊富な実例で楽しく解説されます。
ギリシャがローマのように大帝国にならなかったのはメディアが劣っていたからです。
西洋文明に影響が大きく今日も読み継がれているプラトン、ソクラテスなどの知性を持っていた古代ギリシャですが、中心となる都市国家は演説の聴衆が聞こえる範囲が限界でした。
コーマ帝国は、革命的なメディアを使って、広大な大帝国を築き上げました。
それは道路と紙です。
ローマ皇帝の命令・意向は、紙に書かれ馬車によって帝国の隅々まで張り巡らされた「道路」によって伝えられ、専制的な支配を実現できました。
新しいメディアの出現の理解は、当時の人々には難しく、旧時代の知識・言葉での説明を試みられます。
自動車は、最初は「馬なし馬車」と呼ばれました。
この本は1967年発行で、マクルーハンが考察したのはアルファベット誕生から1960年代初めまでです。
それまで存在してなかった新しいメディアの登場で人々がいかに大きな影響を受けたのかに比較して書かれており、「常識」とは何と儚いものかと思ってしまいます。
歴史は、人馬エネルギー時代から機械時代(オートメーション)へ、そして現在の電気時代(インフォメーション)へと変遷しています。
IT革命と言われる現代ですがマクルーハンの巨視的なメディア論では、現代は依然として電気時代です。
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メディア論―人間の拡張の諸相 単行本 – 1987/7/1
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- ISBN-104622018977
- ISBN-13978-4622018971
- 出版社みすず書房
- 発売日1987/7/1
- 言語日本語
- 本の長さ384ページ
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- 出版社 : みすず書房 (1987/7/1)
- 発売日 : 1987/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 384ページ
- ISBN-10 : 4622018977
- ISBN-13 : 978-4622018971
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2014年4月25日に日本でレビュー済み
グーテンベルクの活版印刷技術から身分のあまり高くない者までも知識を得れるようになり、以前コジェーブのヘーゲル読解を引用したポストモダンと言われた日本の知識人の本を読んでナポレオン戦争以後歴史は終わった、日本は関ヶ原の戦い以後歴史は終わったとあった、ヒトラーの名言に欧州は太陽で日本は月である(月は太陽がないと輝けない)や第二次大戦にアメリカが参戦した際の一大陸が攻めてくるのかがある。
2015年2月14日に日本でレビュー済み
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コンテンツではなくメディアの力についての本。
インターネットが無かった時代に書かれたものですが、
インターネットがあるこの時代に、その内容が実証されているように思います。
日本ではメディアとは何かや、その力についての教育はあまりないので、
ぜひ、読んでおきたい良書だと思います。
インターネットが無かった時代に書かれたものですが、
インターネットがあるこの時代に、その内容が実証されているように思います。
日本ではメディアとは何かや、その力についての教育はあまりないので、
ぜひ、読んでおきたい良書だと思います。
2015年7月29日に日本でレビュー済み
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主張に対する理由説明、論拠が非常にわかりづらく、主張との関係性が不明瞭な引用、比喩がダラダラ続いて理解に非常に苦労します。
シンプルに解説できる事をワザとごちゃごちゃ(文学的な)蛇足を加えて、難解で立派に見えるようにしているのでは、と邪推してしまうほどです。名著であるとの事なので内容は是非ともキャッチアップしたいと考えているのですが、私の読解力ではチラシの裏的な文章を再三読みこなすのは苦痛であり時間的な効率も非常に悪いと思われました。
例としては
"キュービズムは瞬間の全体的知覚を取る事で、突如として「メディアはメッセージである」と宣言したのであった。"
という文章ですが、私には意味不明でした。
前後の文章から、なんとなく情報の伝達、表現手法の変化によってメディアという物の属性が変わった、と言いたいのかな?と感じましたが、
それに対する具体的な理由説明や証明などが無く、曖昧な解釈をする他ありませんでした。
この本のエッセンスを抽出してある解説書をまず読んだり、翻訳がまずい可能性も考慮して元著などにも当たりたいと考えています(kindle版はたった15ドル...)が、なんにせよ情報に対する投資としてこの本に6000円も出してしまったのは非常に悔やまれます。。。
シンプルに解説できる事をワザとごちゃごちゃ(文学的な)蛇足を加えて、難解で立派に見えるようにしているのでは、と邪推してしまうほどです。名著であるとの事なので内容は是非ともキャッチアップしたいと考えているのですが、私の読解力ではチラシの裏的な文章を再三読みこなすのは苦痛であり時間的な効率も非常に悪いと思われました。
例としては
"キュービズムは瞬間の全体的知覚を取る事で、突如として「メディアはメッセージである」と宣言したのであった。"
という文章ですが、私には意味不明でした。
前後の文章から、なんとなく情報の伝達、表現手法の変化によってメディアという物の属性が変わった、と言いたいのかな?と感じましたが、
それに対する具体的な理由説明や証明などが無く、曖昧な解釈をする他ありませんでした。
この本のエッセンスを抽出してある解説書をまず読んだり、翻訳がまずい可能性も考慮して元著などにも当たりたいと考えています(kindle版はたった15ドル...)が、なんにせよ情報に対する投資としてこの本に6000円も出してしまったのは非常に悔やまれます。。。
2014年8月26日に日本でレビュー済み
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1964年にこの著作が発行されていた事実だけでも、なんと先見性があったのだろうと、改めて感銘します★
2008年8月21日に日本でレビュー済み
初読はずっと以前。それでもずっと心に残っていました。最近再読。メディアという概念をどう捉えれば良いか、そしてわたしたちがメディアとどう関わっていくべきなのか、この本の「問い」は現代においても色あせていないと思います。
たとえば、親が子供にTVゲームのやり過ぎを叱るとしたら、それはいちいちゲームの内容について批判を持っているからではないでしょう。TVゲームのTVゲーム性というか、つまるところTVゲームの持っているメディアの「メッセージ」を親は受け取っているわけで、文句を言いたくもなるわけです。あるいは面と向かって頭を下げるのと、Eメールで謝罪のメッセージを送るのでは、フェイスtoフェイスとEメールというメディア性の違いと言うのがあるわけで、もちろん「メッセージ」は全く変わっちゃうわけです、当たり前に。メディアというものの捉え方を、社会や歴史という文脈において考察したり、あるいは人間知覚の拡張としてわたしたちに何を可能たらしめ何を不可能たらしめるのかといったことが、マクルーハン一流のハイパーテキストな感じの文章で描かれています。
個人的には昨今のメディア論だかメディアリテラシーだかは、どうにも理論寄り・ハイテク寄りすぎで、人間の知覚レベルでの話は置いてけぼりになっている感じを持っています。マクルーハンは「グーテンベルグの銀河系」で活字と話し言葉というメディアの違いを明確に示しました。この本も必携でしょう。しかし死後に刊行され、息子との共著という形になった「メディアの法則」も実際的な形におさめようとしたためか、マクルーハンのエッセンスが抜け落ちてしまっているように思えてなりません。結局、メディア論を学問としてではなく、たとえばギブソンの知覚論とか、シブルブシェやベンヤミンなどの文化史の変奏として読めば実り多いのではないだろうか、などと思いました。
たとえば、親が子供にTVゲームのやり過ぎを叱るとしたら、それはいちいちゲームの内容について批判を持っているからではないでしょう。TVゲームのTVゲーム性というか、つまるところTVゲームの持っているメディアの「メッセージ」を親は受け取っているわけで、文句を言いたくもなるわけです。あるいは面と向かって頭を下げるのと、Eメールで謝罪のメッセージを送るのでは、フェイスtoフェイスとEメールというメディア性の違いと言うのがあるわけで、もちろん「メッセージ」は全く変わっちゃうわけです、当たり前に。メディアというものの捉え方を、社会や歴史という文脈において考察したり、あるいは人間知覚の拡張としてわたしたちに何を可能たらしめ何を不可能たらしめるのかといったことが、マクルーハン一流のハイパーテキストな感じの文章で描かれています。
個人的には昨今のメディア論だかメディアリテラシーだかは、どうにも理論寄り・ハイテク寄りすぎで、人間の知覚レベルでの話は置いてけぼりになっている感じを持っています。マクルーハンは「グーテンベルグの銀河系」で活字と話し言葉というメディアの違いを明確に示しました。この本も必携でしょう。しかし死後に刊行され、息子との共著という形になった「メディアの法則」も実際的な形におさめようとしたためか、マクルーハンのエッセンスが抜け落ちてしまっているように思えてなりません。結局、メディア論を学問としてではなく、たとえばギブソンの知覚論とか、シブルブシェやベンヤミンなどの文化史の変奏として読めば実り多いのではないだろうか、などと思いました。
2010年11月8日に日本でレビュー済み
西村幸祐氏の近著、『メディア症候群』が話題になっています。読んでみると、ただの保守派からの偏向報道批判ではありません。むしろそういう読み解き方で『メディア症候群』を批評をことを批判するラディカルな内容です。そして、そこに収められた西村氏の論文「メディアの自殺―ネット言論の可能性とWEB3.0」でマクルーハンと本書『メディア論―人間の拡張の諸相』を知り、読むことができました。
西村氏は「人間拡張の原理」と書いていたので、参考文献は本書の訳ではない、かなり前のものと思いますが、西村氏の論考にマクルーハンが大きな影響を与えていたことが理解できます。
一読すると内容は驚くばかりで、とても60年代に書かれたものとは思えない現代性に満ちたものでした。なぜ、この種の読み物がもっと脚光を浴びないのか不思議ですが、既得権益の持ち主には危険な書物なのかも知れません。それが確認できたことだけでも天才マクルーハン(西村氏の評価)に感謝し、本書に巡り会うきっかけを作ってくれた西村幸祐氏にお礼を申し上げます。
最後に一言。より廉価な普及版が出版されることを願っています。
西村氏は「人間拡張の原理」と書いていたので、参考文献は本書の訳ではない、かなり前のものと思いますが、西村氏の論考にマクルーハンが大きな影響を与えていたことが理解できます。
一読すると内容は驚くばかりで、とても60年代に書かれたものとは思えない現代性に満ちたものでした。なぜ、この種の読み物がもっと脚光を浴びないのか不思議ですが、既得権益の持ち主には危険な書物なのかも知れません。それが確認できたことだけでも天才マクルーハン(西村氏の評価)に感謝し、本書に巡り会うきっかけを作ってくれた西村幸祐氏にお礼を申し上げます。
最後に一言。より廉価な普及版が出版されることを願っています。
2004年2月16日に日本でレビュー済み
メディアを学ぶものにとっては、欠かせぬ人。
この本のテーマは、「メディアとはメッセージ」ということである。
また、メディアは身体の延長としてあるものだとされる。
例えば、新聞というメディアは、自分の表現(知覚)可能性の延長である。
しかし、新聞における表現媒体も、言語というメディアを
使わねばならない。つまりメディアの入れ子である。
iモードによる書評であれば、携帯、インターネット、書籍、言語というメディア
が重層化される。しかし、結局言語でさえも、自己の表現であり、
これがメッセージである。
と、私は読んだが、誤読かも知れない
この本のテーマは、「メディアとはメッセージ」ということである。
また、メディアは身体の延長としてあるものだとされる。
例えば、新聞というメディアは、自分の表現(知覚)可能性の延長である。
しかし、新聞における表現媒体も、言語というメディアを
使わねばならない。つまりメディアの入れ子である。
iモードによる書評であれば、携帯、インターネット、書籍、言語というメディア
が重層化される。しかし、結局言語でさえも、自己の表現であり、
これがメッセージである。
と、私は読んだが、誤読かも知れない