産声をあげた瞬間から人間は人生の苦痛と直面するが、「人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読みとるようになる」(46頁)と鈴木大拙は記す。まさに〝艱難汝を玉にす"である。
「自我の主張」と「自我の滅却」という背反する難題に「禅」が如何なる解決策を指し示すかを検証する試みが、邦訳された英文論考の主眼だ。
大拙は、「禅には人間の存在の本性を直指する独自の道があって、これが成就する時、人は仏たることを成就する。そこでは知性がひき起こした一切の矛盾や混乱は、より高い統一の中で完全に調和される」(52~53頁)という。
知性が矛盾や混乱の素だとは面白い。禅に「精神の雄々しさ」を認め、「禅は性格の改造を目指す修行である」(62頁)とする大拙の禅理解に初めて触れた思いがした。禅修行の完遂は「偉大な精神力」の賜物だから、「深い体験にみたされた霊性のほとばしり」たる「禅匠たちの言葉や行為」が一見不可解に見えるのも至極当然だ(63~64頁)。
瞑想や坐禅工夫により「知性や妄想に曇らされていない」「自己の存在の本性」を見究めることで、「さとり」の開眼がもたらされる(71頁)。「禅は、宗教感情を正しい道にみちびくものであり、知性に生命を与えるもの」(128頁)なのだ。目には見えぬ禅者の境涯や法力は、このように鍛えられて具わる。
二元対立の「因襲的」思考に対し、「禅はその哲学の基礎」に「絶対的一」の思想(「非二元」(不二)という究極の理)を置く(129~130頁)。「問いそのものとなった」とき「二元の消滅が「無為」であり、「空」である。(中略)心は、いまや生と死とを越え、自己と非自己とを越え、善と悪とを越えて、其の究極の実体を得る」(36頁)のだ。
「自他不二」を体感した禅匠たちが「禅が論理を越え、観念の専横と誤述を斥ける」(131頁)と説くのも、「物事を新しい見地から見る」「第三の眼」を修行者(雲水)に開かせるためだ(132頁)。接得(接化)・方便に違いこそあれ、衆生済度の親切・慈悲に相違はない。
禅は「平常心」で「われわれの日常の生活を越えるようなものは何もない」から、「禅は生命そのもの」、「禅は詩である、哲学である、道徳である」といい、「禅を概念化してはならない。それはどこまでも体験的に把握すべきもの」と大拙は主張する(166~167頁)。
「生命が走りゆく時、記憶を呼び起したり、思想を築いたりするいとまはない。(中略)禅匠たちが、しばしば、論理的方法によって解釈できるような表示や言い方を避けたのはこのためである」(159頁)と説く。閃電光、撃石火…。なるほど、成程。
本書後半では、禅者鈴木大拙は一転して「愛」と「力」の関係に言及する。キリスト教や神秘主義思想に造詣が深い大拙の面目躍如たるものがある。
「生命を創造するのは愛である。愛なくしては、生命はおのれを保持することができない。」「愛とは他を認めることであり、生活のあらゆる面において他に思いを致すことだ」。「たがいに関係をもち、たがいに思いやるという考え方は、力の観念を排除する。力とは、内的関係の体制の中に外から持ち込まれるものだからである」(196~197頁)。
「愛は肯定である。創造的肯定である。愛はけっして破壊と絶滅には赴かない。なぜならば、それは力とは異なって、一切を抱擁し、一切を許すからである。愛はその対象の中に入り、それと一つになる」(198頁)。
「力の観念は、実在の二元的解釈から必然的に生まれる。(中略)力の誇示のもっとも顕著な一例が、西欧の人々の自然に対する態度にみられる。かれらは自然を征服するといって、けっして自然を友とするとはいわない」(199頁)。
地震や津波などの自然災害に襲われながらも、木造の家屋に住み、和紙を漉き、花鳥風月と親しみ、墨絵にも四季折々の自然美を好んで描いて来た先人たちの営みを思えば、東西文化の根底が異なる価値観、自然観に根差していることは容易に納得できる。
「力の観念は、人格とか、相互依存とか、感謝とか、その他さまざまの相互関係の心を斥ける。(中略)力は、われわれ人類同胞の間にひとしく恩恵を分配しないで、それを独占しがちだ」(200頁)。
「力に酔った人々は、力が人を盲目にし、しだいにせばまる視界に人を閉じ込めるものだということに気づかない。こうして力は知性と結びつき、あらゆる方法でそれを利用する。だが、愛は力を超越する。なぜならば、愛は実在の核心に滲透し、知性の有限性をはるかに越えて、無限そのものであるからである」(202頁)。
ロシアのウクライナ侵攻による世界的なエネルギー危機や食糧危機を目の当たりにして、大拙のこの主張にはまったく首肯させられる。力の信奉者であるプーチンは二十世紀も前半の東西対立の残滓が蔓延った思考回路のままでいるのだろう。権力を弄ぶ愚者の感覚は、文字どおりぐしゃぐしゃだ。
「愛は信頼する。つねに肯定し、一切を抱擁する。愛は生命である。ゆえに創造する。(中略)愛はけっして盲目でない。それは無限の光の泉である」(202頁)。
「われわれは、善にあれ悪にあれ、この人間社会に行なわれることの一切に責任がある。だから、われわれは、人類の福祉と智慧の全体的発展を妨げるような条件を、ことごとく改善もしくは除去するように努めなければならない」(203頁)。
分断社会、貧富格差、グローバル経済、宗教対立、移民問題、資源争奪、核管理、人口問題、気候変動、地球温暖化、海洋汚染、生物多様性…。
二十一世紀も四分の一近く過ぎようとする今、人類が背負う難問に茫然自失するのではなく、智慧ある者としてホモサピエンスが絶滅を迎えぬために、禅者鈴木大拙が唱えた無尽蔵の愛を繋いで地球を救う道しか残されていないことを、私たちは自覚し覚悟を決めるほかない。
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禅 (ちくま文庫 す 1-1) 文庫 – 1987/9/1
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- 本の長さ219ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1987/9/1
- ISBN-104480021574
- ISBN-13978-4480021571
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1987/9/1)
- 発売日 : 1987/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 219ページ
- ISBN-10 : 4480021574
- ISBN-13 : 978-4480021571
- Amazon 売れ筋ランキング: - 12,685位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月7日に日本でレビュー済み
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2014年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この書は、1950年代から60年代にかけて鈴木大拙先生が英文で書かれた禅に関する著作
を7編集めて工藤澄子大姉が日本語に訳したものであり、秋月龍'''a(みん)禅師の解説が
付いている。
短編の寄せ集めではあるが、第7章「愛と力」を除けば、全体を通して違和感はない。
第7章は、「1958年のブラッセル万国博覧会で読まれたメッセージの邦訳」(秋月師)
らしく、世界平和を意識した内容になっており、特に禅に関連したものではない。
この章が何故この書に取り入れられたのかは分からない。
ここに載せられた著作は、鈴木先生が外国人に禅の本質を分かってもらうために英語で
書いたものであるせいか、日本国内で販売されている他の著作と一味違ったものに
なっている。
つまり、禅を仏教の他の宗派だけでなくキリスト教とも比較し、その本質に迫っている。
それが成功しているかどうか分からないが、禅問答を並べて、それを面白おかしく解説
している書ではない。(もちろんかなりの数の事例は出てくるが。。。)
この書に興味を持たれた方のために、各章の最初の文を以下に記載し、購入のための
参考としたい。
第一章 禅
禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であって、その真髄とは、
仏陀が成就した<悟り>(bodhi、菩提)を体験することにある。
第二章 悟り
仏教は仏陀の「悟り」の体験を中心に回転している、と自分は思う。
第三章 禅の意味
禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛から自由への道を
指し示す。
第四章 禅と仏教一般との関係
禅の中には、表面的にはまことに奇異かつ非合理にさえ見えるものがあって、これが、
いわゆる原始仏教を言葉通りに受け取る敬虔な仏教徒たちを驚愕させ、かれらをして、
禅は仏教ではなくて、その中国的変形亜流にすぎない、と断言させるのである。
第五章 禅指導の実際的方法
自分の所存では、禅は一切の哲学および宗教の究極するところである。
第六章 実存主義・実用主義と禅
「哲学・東と西」(Philosophy East and West)の第一号に、禅思想に言及した論文が
二つも載っているのは意味深いことである。
第七章 愛と力
いまだかつて、人類の歴史において、現代の世界におけるほど、精神の指導者ならびに
精神的価値の高揚が差し迫って必要だったことはない。
を7編集めて工藤澄子大姉が日本語に訳したものであり、秋月龍'''a(みん)禅師の解説が
付いている。
短編の寄せ集めではあるが、第7章「愛と力」を除けば、全体を通して違和感はない。
第7章は、「1958年のブラッセル万国博覧会で読まれたメッセージの邦訳」(秋月師)
らしく、世界平和を意識した内容になっており、特に禅に関連したものではない。
この章が何故この書に取り入れられたのかは分からない。
ここに載せられた著作は、鈴木先生が外国人に禅の本質を分かってもらうために英語で
書いたものであるせいか、日本国内で販売されている他の著作と一味違ったものに
なっている。
つまり、禅を仏教の他の宗派だけでなくキリスト教とも比較し、その本質に迫っている。
それが成功しているかどうか分からないが、禅問答を並べて、それを面白おかしく解説
している書ではない。(もちろんかなりの数の事例は出てくるが。。。)
この書に興味を持たれた方のために、各章の最初の文を以下に記載し、購入のための
参考としたい。
第一章 禅
禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であって、その真髄とは、
仏陀が成就した<悟り>(bodhi、菩提)を体験することにある。
第二章 悟り
仏教は仏陀の「悟り」の体験を中心に回転している、と自分は思う。
第三章 禅の意味
禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛から自由への道を
指し示す。
第四章 禅と仏教一般との関係
禅の中には、表面的にはまことに奇異かつ非合理にさえ見えるものがあって、これが、
いわゆる原始仏教を言葉通りに受け取る敬虔な仏教徒たちを驚愕させ、かれらをして、
禅は仏教ではなくて、その中国的変形亜流にすぎない、と断言させるのである。
第五章 禅指導の実際的方法
自分の所存では、禅は一切の哲学および宗教の究極するところである。
第六章 実存主義・実用主義と禅
「哲学・東と西」(Philosophy East and West)の第一号に、禅思想に言及した論文が
二つも載っているのは意味深いことである。
第七章 愛と力
いまだかつて、人類の歴史において、現代の世界におけるほど、精神の指導者ならびに
精神的価値の高揚が差し迫って必要だったことはない。
2005年1月5日に日本でレビュー済み
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正直云って、仏教などに関する知識を多少なりと持ち合わせていないと読むのはつらいかもしれない。一体、禅とは何なんだろう。ちょっと禅を体験してみようか。などと軽い気持ちで読むと、読み終えるまでに時間がかかったり、読み終えないかもしれない。
しかし、それを我慢して読むというか、何か得るものがあるはずだと信じて集中して読めば、絶対得るものはあるはず。そこに到達するまでの忍耐力が必要だ。
読んでいて、はじめは面白くなかったのは事実。それに内容を全て理解していないのも事実。。。しかし、ところどころ、まさに赤線を引くような箇所もでてくるので、それなりに興味のある人はおもしろいかも。
この本を理解できないところにまだ、自分の甘さがあるのかもしれない。この本をちゃんと理解し得る時、自分はまた一つ大きくなっている気がする。が、残念ながら今はその時期に達していないようだ。。。
しかし、それを我慢して読むというか、何か得るものがあるはずだと信じて集中して読めば、絶対得るものはあるはず。そこに到達するまでの忍耐力が必要だ。
読んでいて、はじめは面白くなかったのは事実。それに内容を全て理解していないのも事実。。。しかし、ところどころ、まさに赤線を引くような箇所もでてくるので、それなりに興味のある人はおもしろいかも。
この本を理解できないところにまだ、自分の甘さがあるのかもしれない。この本をちゃんと理解し得る時、自分はまた一つ大きくなっている気がする。が、残念ながら今はその時期に達していないようだ。。。
2022年2月18日に日本でレビュー済み
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この本の内容は死ぬまでに、少なくとも知得しておきたいとおもう。
2018年1月15日に日本でレビュー済み
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表紙絵の〇は、円相と呼ばれる有名な禅画の一種だが、よくある「心性の完全円満を表す」だのいう説明は全くの出鱈目。
実際に描いてみれば誰にもわかることだが、頭の中でイメージするだけも十分。という訳で、やってみよう。
真っ白な紙の上、墨を含んだ筆先を真っ直ぐに下ろしたら、一気に弧を描き、輪が閉じたところで筆先を引き上げる。
これで円相は出来上がりだが、今描いた動きを動画の逆回し、逆再生で更にイメージする。
描かれた円周上に筆先が下りてきて、先程と逆向きに弧が消えてゆき、最後に筆が真っ直ぐ上がって、元の真っ白。
ハイ!ここでダメ押しに「父母未生以前」やら「無一物中無尽蔵」あたりでも思い浮かべ・・・・・・
そうして改めて見てみると、以前と全く違って見えるのに気付いた筈。つまりトリックアートだった訳。閑話休題。
さて内容について評するまでもなく、万人にオススメな世界の大拙クォリティ。
「問いを解くとは、それと一つになることである。…(略)…その時、問いがみずからを解くのである」
実際に描いてみれば誰にもわかることだが、頭の中でイメージするだけも十分。という訳で、やってみよう。
真っ白な紙の上、墨を含んだ筆先を真っ直ぐに下ろしたら、一気に弧を描き、輪が閉じたところで筆先を引き上げる。
これで円相は出来上がりだが、今描いた動きを動画の逆回し、逆再生で更にイメージする。
描かれた円周上に筆先が下りてきて、先程と逆向きに弧が消えてゆき、最後に筆が真っ直ぐ上がって、元の真っ白。
ハイ!ここでダメ押しに「父母未生以前」やら「無一物中無尽蔵」あたりでも思い浮かべ・・・・・・
そうして改めて見てみると、以前と全く違って見えるのに気付いた筈。つまりトリックアートだった訳。閑話休題。
さて内容について評するまでもなく、万人にオススメな世界の大拙クォリティ。
「問いを解くとは、それと一つになることである。…(略)…その時、問いがみずからを解くのである」
2017年5月23日に日本でレビュー済み
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本書のしめくくり、第7章は
「愛と力」について。
鈴木大拙がこんなにも熱く
愛を語り、力を全否定していることに驚いた。
・今日、われわれの考え得る、そしてその実現をねがう
さまざまの精神的価値のうち、何よりも切望せられるものは
“愛”である。
・愛とは他を認めることであり、生活のあらゆる面において
他に思いを致すこと。
・生命は、愛の支えなくしては生命たり得ない。
愛は肯定である。創造的肯定である。
愛はけっして破壊と絶滅には赴かない。
なぜならば、それは力とは異なって、一切を抱擁し、
一切を許すからである。
・愛はその対象の中に入り、それと一つになる。
力は二元的、差別的であるから、自己に相対するものを
ことごとく粉砕し、しからずんば、
征服して奴隷的従属物と化さねばやまぬ。
禅は、日本人の自然愛が洗練されたもの、とも大拙は言った。
たとえば仏陀涅槃図を十字架のキリストと比較すると、
東西の自然観の違いがよくわかる、と。
キリストは苦しそうな顔でぶら下がっている。
一方、仏陀は気持ちよさそうに横たわっている。
キリストの磔刑は自然との闘いを想わせ、
仏陀の涅槃は自然との調和・融合を想起させる…。
禅は愛。
大拙は、それをいちばん伝えたかったのだと思う。
「愛と力」について。
鈴木大拙がこんなにも熱く
愛を語り、力を全否定していることに驚いた。
・今日、われわれの考え得る、そしてその実現をねがう
さまざまの精神的価値のうち、何よりも切望せられるものは
“愛”である。
・愛とは他を認めることであり、生活のあらゆる面において
他に思いを致すこと。
・生命は、愛の支えなくしては生命たり得ない。
愛は肯定である。創造的肯定である。
愛はけっして破壊と絶滅には赴かない。
なぜならば、それは力とは異なって、一切を抱擁し、
一切を許すからである。
・愛はその対象の中に入り、それと一つになる。
力は二元的、差別的であるから、自己に相対するものを
ことごとく粉砕し、しからずんば、
征服して奴隷的従属物と化さねばやまぬ。
禅は、日本人の自然愛が洗練されたもの、とも大拙は言った。
たとえば仏陀涅槃図を十字架のキリストと比較すると、
東西の自然観の違いがよくわかる、と。
キリストは苦しそうな顔でぶら下がっている。
一方、仏陀は気持ちよさそうに横たわっている。
キリストの磔刑は自然との闘いを想わせ、
仏陀の涅槃は自然との調和・融合を想起させる…。
禅は愛。
大拙は、それをいちばん伝えたかったのだと思う。
2019年10月4日に日本でレビュー済み
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タイトルに惹かれ買いましたが、私には難しい。もっと、先に読むべき本がある。教養の高い方なら理解できるのでしょうが、、、決して禅の入門書ではないです。