『論語』にはいくつもの翻訳があり、その重要さは説かれていても、どれを選べばよいかわからずに戸惑うかもしれない。そんな時に評者が一読者としてまず紹介したいと思ったのは井波律子訳の『完訳論語』である。『論語』のみならず古典と呼ばれる文章は一節の読み自体がすでに大きな論争の的となり、どこから手を付けてよいのかわからなくなってしまうことがある(『論語』というテクストの成立に関する詳細は湯浅邦夫『論語』中公新書を参照)。従来標準的な読みと重宝されてきた岩波文庫の金谷治訳、一冊しか選べなければこれを推したいと安田登氏が紹介する講談社学術文庫の加地伸行訳が定評のある翻訳であった。しかし前者はかみ砕かれているがゆえのわかりにくさを感じ、後者は君子を教養人と訳しているがゆえにエリート主義的なものを感じてしまう。本書の井波律子訳は『論語』の人口に膾炙する有名な一節の紹介も含め、論語に興味を持ったけれども近づきがたいと感じるすべての読者を招くものである。
湯浅邦夫氏の論語入門や子安宣邦氏の論語読解の各書を通して論語を読むこと自体が多分に解釈を含み、一筋縄ではいかない部分があり、どのように読解するかということ自体がプラトンの国家読解にも似たような政治的意味合いを持たされてしまうことは随所に指摘されている。ひと世代前の儒教的な朱子の読解に基づいた解釈が常識であった時代から吉川幸次郎氏をはじめとした読解を通して今は数十年前とは異なる思想的風景の中にあるといえるのだと思う。それだけに政治性を抜いた読解の豊かさが随所に提示されつつあるものの、実際に論語に触れようという読者にうってつけの本があるだろうかと考えた時にまず浮かんだのが本書『完訳論語』である。
単行本ということもあり他の文庫本に比べれば大きくなってしまう本書には、他書にはない特徴がいくつかある。まず本文の構成が、原文、訓読、現代語訳、下部にまとめられた語句の説明、それから井波氏による読解という構成になっている。近いものでは吉川幸次郎氏の論語があるが、本書は読解の際に解釈の分かれ目となる語句についての説明が下部にまとめられているので読みやすく、より分かりやすい構成となっている。それから、本書の訓読が総ルビであることも指摘しておきたい。論語は素読されていた時代もあったように声に出して読むにふさわしい古典である。この総ルビの訓読文は論語に触れたいと思う読者を優しくテクストの世界へと導いてくれるのである。意外とあるようでなかった配慮であると思う。
上にあげたような特徴は金谷治訳、加地伸行訳にもあるではないかと指摘されるかもしれないが、本書はこの一冊が手元にあれば本を開くだけで論語の世界が広がっているということを実感させてくれる本なのである。中でも印象的なのは孔子と子路や顔淵を始めとした弟子とのやり取りが生き生きと描き出されていることである。他の翻訳では説明的な叙述が多く、政治的な文脈で彼らがどんな状況にあったのかについての注解が多い。しかし本書はそういった孔子が置かれた政治的文脈だけでなく、弟子たちが孔子とどういう関係にあり孔子がどういうことを意図してその言葉を発したのかが生き生きと描かれているのである。厳めしい儒家としてではなく人間愛に開かれた孔子の姿を如実に読者に伝えてくれるのである。
論語は大分な書物ではない。しかしその汲めども尽きぬ論語の世界を孔子と弟子たちとの生き生きとしたやり取りを通して再現してくれる本書は、この大古典に向き合おうとする読者を優しく導く一書である。論語の世界へと開かれた読者に強く勧めたい一冊である。ここまでの評では学問的なことは記さなかったが、伊藤仁斎や荻生徂徠などを参照しながらどこで解釈が分かれるのかということにまで踏み込んだ井波氏の読解は先人の論語読解へとも読者を導いてくれるであろう。
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完訳 論語 単行本 – 2016/6/9
井波 律子
(翻訳)
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「仁」とは誠実な思いやり、人間愛──。のびやかにして剛毅、おおらかな楽観主義と陽性の健やかさに満ちた、人間・孔子。はつらつと弟子たちと語り合い、学問や音楽を心から愛し、どんな不遇のどん底でもユーモアを失わずに生きぬいた、力強い「肯定の思想」とは。今こそ新鮮な大古典の魅力を存分に味わえる、必携の一冊。
- 本の長さ672ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2016/6/9
- 寸法12.9 x 3.7 x 18.8 cm
- ISBN-10400061116X
- ISBN-13978-4000611169
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2016/6/9)
- 発売日 : 2016/6/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 672ページ
- ISBN-10 : 400061116X
- ISBN-13 : 978-4000611169
- 寸法 : 12.9 x 3.7 x 18.8 cm
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2024年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は6冊の『論語』を読み比べた。そのうち本書は現代語訳が最も丁寧であるが,有名な章句の訳が他のものと違うことが気になったのでお知らせしたい。
一つ目は
『由よらしむ可べし,知しらしむ可べからず』(泰伯8-9)
井波律子氏の訳は「人民は従い頼らせるべきであり,その理由を知らせるまでもない」
原文の可,不可は単純にできる,できないの意味であり,書き下しのべき,べからずもそう訳すべき(このべきは義務)であり,「民衆からは,その政治に対する信頼をかちうることはできるが,政治の内容を知らせることはむずかしい」の方が妥当な訳である。
二つ目は
『女子と小人は養いがたし』(陽貨17-25)
井波律子氏の解説では「孔子が,はるか二千五百年以上も前に生きた人であることを,改めて実感させられる」
これは女性蔑視と批判しているのであるが,『詩経』に『立派な男子は「君子」であり,立派な女子は「淑女」』と定義されているので「淑女でない女子と君子でない小人は扱いにくい」と他の著書は訳している。
上の二つの章句は論語ぎらいを生む可能性があり,とても残念である。
一つ目は
『由よらしむ可べし,知しらしむ可べからず』(泰伯8-9)
井波律子氏の訳は「人民は従い頼らせるべきであり,その理由を知らせるまでもない」
原文の可,不可は単純にできる,できないの意味であり,書き下しのべき,べからずもそう訳すべき(このべきは義務)であり,「民衆からは,その政治に対する信頼をかちうることはできるが,政治の内容を知らせることはむずかしい」の方が妥当な訳である。
二つ目は
『女子と小人は養いがたし』(陽貨17-25)
井波律子氏の解説では「孔子が,はるか二千五百年以上も前に生きた人であることを,改めて実感させられる」
これは女性蔑視と批判しているのであるが,『詩経』に『立派な男子は「君子」であり,立派な女子は「淑女」』と定義されているので「淑女でない女子と君子でない小人は扱いにくい」と他の著書は訳している。
上の二つの章句は論語ぎらいを生む可能性があり,とても残念である。
2024年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
隠れている所に、最初から読んでいれば良かった中の一冊。
2022年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
用途教學。
2020年8月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国人を知る上で大変参考になる
2017年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私が論語20篇中前半の10篇までこの本を読んだ段階での評価である。まとまっていて、文章は読み易いと思う。従来の訳注書と同様で、古注や新注(宋代の朱子の注釈)などの従来の注釈から著者(井波氏)が妥当と判断した解釈を選び、足りない所を著者が補うというやり方で書かれている。解説の詳しさは、金谷治と吉川幸次郎の訳注書の中間である。著者は解釈の中で標準的な解釈を選んでいると思う。しかし、宮崎市定の訳注書などは検討されていないようである。
私は論語の研究をしているが、論語の秘密を発見し、論語の真実の大部分を明らかにしえたと確信している。あと1-2週間で電子書籍で出版予定である。丘信夫の名で、タイトルは『誰も知らない論語の秘密 第一巻孔子の出自の秘密』である。
井波氏の著作の欠点は、今まで解けていない論語の謎が全く解けていないことである。八佾第3-21の哀公問社の章の謎も、雍也第6-22の民の義の謎も全く解けていない。孔子の出自の秘密も全く気付いていない。私は、上記の謎を完全に解明し、そのことを『誰も知らない論語の秘密 第一巻 孔子の出自の秘密』に記した。あと、井波氏の著作は従来の注釈書と同じように、漢字の語源の研究を全く無視している。白川静らの甲骨文字や金文からの漢字の語源の研究の成果を全く取り上げていない。私の検討では、白川静の語源の辞書である『字統』などにより、論語の章の解釈が変わることはしばしばあった。そのことは、上記の私の著書に記述した。
私は論語の研究をしているが、論語の秘密を発見し、論語の真実の大部分を明らかにしえたと確信している。あと1-2週間で電子書籍で出版予定である。丘信夫の名で、タイトルは『誰も知らない論語の秘密 第一巻孔子の出自の秘密』である。
井波氏の著作の欠点は、今まで解けていない論語の謎が全く解けていないことである。八佾第3-21の哀公問社の章の謎も、雍也第6-22の民の義の謎も全く解けていない。孔子の出自の秘密も全く気付いていない。私は、上記の謎を完全に解明し、そのことを『誰も知らない論語の秘密 第一巻 孔子の出自の秘密』に記した。あと、井波氏の著作は従来の注釈書と同じように、漢字の語源の研究を全く無視している。白川静らの甲骨文字や金文からの漢字の語源の研究の成果を全く取り上げていない。私の検討では、白川静の語源の辞書である『字統』などにより、論語の章の解釈が変わることはしばしばあった。そのことは、上記の私の著書に記述した。
2016年7月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変勉強になりました。
論語は何度も読んでおりますが、改めて新しい発見がありました。
ありがとうございました。
論語は何度も読んでおりますが、改めて新しい発見がありました。
ありがとうございました。